アベノミクスが6度目の挫折。政府文書からも「デフレ」が消滅

 

「デフレ脱却」は達成されたのか?

黒田の言い方では、デフレ・マインドは根強く残っているのであるから、つまり「デフレ脱却」というアベノミクスの中心目標は達成されていないということである。

ところが、多くの人々は気付いていないと思うが、年々の経済情勢に応じて政策課題をクリアに押し出すことを主旨とする「骨太の方針」では、これまで「デフレ脱却を確実なものにする」(15年)、「デフレ脱却に向けて大きく前進」(16年)と記すなど、「デフレ退治」を中心に据えてきたのだが、今年のそれからは「デフレの文字が消滅した

これについて、ダイヤモンド電子版7月13日付の編集部記事「『デフレ』はそもそもなかった? 政府文書から3文字が消えた理由」は、次のように述べている。

内閣府は「この1年余り、消費者物価指数が前年を下回ることはなく、物価が持続的に下落する状況ではなくなった。つまり、デフレは終わったという認識だ」と話す。

確かに、2012年12月からの景気拡大局面は戦後3番目の長さになり、需給ギャップや雇用の指標も改善している。デフレの時代は終わったかに見える。

とはいえ内閣府は「『デフレ脱却宣言』をするにはまだ様子をみる必要がある」という。内閣府が06年3月に作った「デフレ脱却の定義」では、物価が持続的に下落する状況を脱したことに加えて、「再びその状況に戻る見込みがないこと」を挙げているからだ。

この点については、「景気回復のテンポは弱いし、物価もほぼ横這い(前月比0%程度の上昇)の下で、再びマイナスにならないとはいいきれない」と、内閣府は自信なさげ。

それを反映してのことなのか、公式の「デフレ脱却」宣言はまだしないという。こっそりと各文書からデフレの文字を消したというのが実情のようだ……。

これって、何を言っているか解りますか。「デフレは終わった」けれども「再びその状態に戻る見込みがない」とは言えないので「デフレ脱却宣言はできない。それで、昨年の骨太方針では「デフレ脱却に向けて大きく前進」と言ったものの、前進した結果「脱却した」とは言えないし、「引き続き大きく前進」と言うのも変なので、その問題に触れるのを止めてしまったということである。

しかし、他のことならいざ知らず、「デフレ脱却」の成否はアベノミクスの中心的な戦略目標であったはずである。それがどこまで達成されたかを、内閣府も日銀も明言を避け、できるだけ触れないようにしているというこの有様は、一体何なのか。

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