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日本の底力を世界に見せつけた零細企業「由紀精密」の挑戦

戦後、全てを失った日本は0からスタートし、経済大国の礎を築きました。しかし、バブル崩壊以降「またいつかあの頃に戻れる」という根拠のない自信が、日本人の熱意を奪っていきました。無料メルマガ『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』の著者である嶌信彦さんは、「元気のない日本だが、中小・零細企業の中には技術も活気もあるところがまだまだたくさんある」と指摘。今回はそのうちの一つである「由紀精密」を詳しくご紹介します。

日本は戦後の第二創業に挑戦を─中小・零細企業に期待

今年1月、私は「目指せ!第二の創業時代」というコラムを書いた。第二次大戦で敗戦した直後の日本は、当時の中小・零細企業が廃墟の中から立ち上がって今日の経済大国の礎を築いた。ソニー、シャープ、松下電器(パナソニック)といった家電メーカーや、トヨタ・ホンダ・日産などの自動車産業も創業当初は僅かの人数、小さな本社、工場でソケットや電球、オートバイ、三輪自動車などの製造からスタートしてきたのだ。

当時は日本人も世界も今日のような世界的企業となり、日本を経済大国として引っ張る企業群になるとは思っていなかったはずだ。しかし今から思うと、まさしく1945年から数年間が日本の戦後企業の創業時代だった。

創業時代はどの企業も死に物狂いで働き、ヒットになりそうな商品を社を挙げて考え、他国の商品からアイディア、ヒントを探しまくっていた。ソニーは10人も入れば一杯になる部屋からスタートしたというし、創業者の井深大氏は戦争から盛田昭夫氏が帰国したと知ると直ちに連絡をとり、トランジスタを開発し二人のコンビで会社を引っ張った。盛田氏は海外へ営業にまわり、ジャップと蔑まれたこともあったようだが、欧州からは日本の首相までが「トランジスタ商人」とも呼ばれた。

とにかくどの企業も、第二次大戦で世界と戦い敗北した日本を暖かく迎える国や企業は少なかったが、自分たちで明治維新の時のように世界をみて働き、日本と自分たちの企業を再生させるんだという意気込みと熱意が凄まじかった。まさに日本全体が明治維新に次ぐ第二の創業時代を意識し火の玉のようになっていた時代の雰囲気があったように思われる。

創業精神を失ってきた日本

私は現代の日本に欠けているのは燃えるような創業期の精神と志行動ではないかと思う。日本は経済大国になりバブルを経験することで国際経済情勢の新しい動きを見失い、逆にいつでも1960-80年代の強かった日本時代に戻れると驕っていたのではなかろうか。日本のバブルが崩壊した1990年代ごろから、世界の経済は新しい時代に入っていた。アメリカはITや通信、バイオ、宇宙、医療、エンターテイメントなどの分野で次々と新しい開発、研究、新規産業が生まれていた。

アップル、マイクロソフト、グーグルなどはその典型だろう。中国、アジアなどの新興国は80年代からかつての日本のような猛烈な働きぶりをみせ、どんどん他国から技術や人材を獲得していき、コスト競争でも優位に立ってきた。日本式経営や経済大国の誉め言葉に安住していた日本は、いつの間にか追いつかれ、追い抜かれていたのに、また1970-80年代のようにいつでも戻れるとタカをくくっていて、新しいうねりが出てこないまま失われた20年、30年を過ごしてしまったのだ。

世界に追いつかれ、追い抜かれているのにそこに安住し、気づいた時には、なかなかエンジンがかからず、日本のかつての輝きは過去のものになっていた。世界も最近の日本に文化を除いて新しい魅力があるとは思わなかったのではないか。このため一時的に日本がはやされることはあっても長続きはせず、株価は依然バブル時代の最高位の2分の1を超えられないし、研究論文数やGDP、一人当たりの生産性などの経済指標等でも順位を下げている。

中小企業に起業家精神が

しかし、そんな日本にも最近戦後の第二創業時代がやってきている。それは活力を失った大企業ではなく、日本の企業の99%を占める中小・零細企業の中から、明治維新期や敗戦後の日本を元気づけたような企業が次々と生まれてきている。今回はそんな第二創業時代を思わせる典型的な企業を紹介したい。

その企業は、私が毎週日曜21時半からTBSラジオで放送している「嶌信彦 人生百景『志の人たち』」に出演頂いた(今後放送予定)、神奈川県茅ヶ崎市の由紀精密(大坪正人社長)という零細企業である。社員20人余とパートタイマーを入れて30人ほどの小企業だが、航空医療機器などの部品加工を行なっている。営業社員がいない経営スタイルを貫き、大学や大学院出身の若手が油まみれで働いている普通の町工場のような会社だ。

中小企業でありながら祖父が創業し、父親が継承していた螺子(ネジ)の会社を僅か3~4年で、何と航空産業、医療機器の会社へと変身させ、この5年間で取引先を3倍に増やし、売上高も大幅に伸ばしているのだ。欧州にも拠点を置き、高付加価値製品をアジアよりも欧米、特に航空機の最先端技術開発国であるフランスにターゲットを絞って戦略を立ててきた。

航空産業に挑む由紀精密

祖父が設立したネジの会社を航空機産業関連の企業へと変えたのは、3代目の正人氏(42)だ。小さい頃は家業を意識することなく、むしろ祖母には町工場を継ぐことを反対され、大企業への就職を勧められたという。実際、正人氏は東大大学院の工学系研究科を卒業した後、金型製作ベンチャーのインクス社に入社。携帯電話試作金型で世界最高速の金型工場を自ら立ち上げるなどして一躍有名になった。2005年には第1回日本ものづくり大賞、経済産業大臣賞受賞などを受賞、2017年には皇太子殿下(※)が視察している。

2006年、実家の経営がはかばかしくないことを知り、「いずれ家業を継ぐつもりがあるなら早い方がよい」と転職した。家業を継いでみて日本の町工場の力量に驚いた。経営戦略は無くただ納期に合わせて現場で働いているだけと考えていた実家の仕事は、複合加工部品を一万個も納めてクレーム一つない。その仕事ぶりに驚き、日本のものづくりを支えているのが町工場なのだと実感する。

以来、中高年者が油まみれでものを作る古いイメージを変えたいと社名ロゴを変え若手を採用し、先端機械も次々と導入する先行投資を行なった。短納期と高品質不良品ゼロを達成し、1万点を超える複合切削加工を手掛けてきた。0.2マイクログラム(マイクロは100万分の1)で500円の超精密コネクターの加工に成功し、航空機、レーシングバイク用部品などの高付加価値部品を次々と受注するようになった。

品質と信頼を武器に異業種に参入

3代目の正人社長は、祖父の会社から引き継いできた中心事業の公衆電話は需要減少で売上が激減してきたため、会社を根本から立て直そうと企業改革に踏み切る。顧客や従業員、他社などから意見を聞き「自社の強みは何か」を徹底的に洗い出す。その結果、継承してきた技術を公衆電話を作る大量生産型のビジネスから大量生産型でなくともよいから高品質のものづくりの企業に変えたいと考え、自分たちの技術が参入できて将来性のある産業を考えぬいた。こうして結論に至ったのが航空機宇宙産業と医療関連だった。

中小・零細企業が全く知らない宇宙、航空関連や医療産業に挑戦するのは無謀のように見えた。しかし単なる部品の受注だけでなく、設計から製造まで一貫して行なえる開発体制を整え、積極的に航空宇宙関連の展示会に出展。情報開発にも力を入れてこの分野の品質マネジメント規格「JISQ9100」も取得した。2013年には超小型人工衛星向け部品を供給したり、内視鏡や医療機器関連分野にも挑戦し、業界でも評判が広がっていく。

2016年には売り上げの約4割は航空宇宙関連2割が医療機器関連企業へと企業構造は全く変わり、数年で「第二創業企業」の様相を呈してきたのである。

「最初は全く未知の分野へ参入し受注できるのかという心配が大きかったけれど真面目に品質にこだわり、少しずつ挑戦しているうちに企業構造は全く変わってしまった。世界の展示会に積極的に参加し、従業員も一緒に行っているうちに皆が世界の状況を知り、当社が何をすれば伸びてゆけるかについて全員が肌で感ずるようになった。小さくとも個性のある町工場になってきた。うちでは毎週月曜の朝1時間の全体会議を開き、将来の会社のあり方を議論するうちに、当初は航空宇宙といわれてもピンとこなかった。しかし、そのうちに社員の意識が「精度の高い製品を作る」から「ジェットエンジンや宇宙開発の部品を作る」という方向に約2年で変わっていった」という。まさにわずか30人の中小企業が2年で第二の創業へと向かい出し、誇りを持ち出したのだ。毎年、世界や日本の展示会に参加し評価を受け、受注も増えてくると自信につながった。

パリ航空ショーに社員らと参加

こうして由紀精密は品質と製品への信頼で顧客の評判は上昇し、リーマン・ショックがあっても売り上げは減らなかったという。営業社員を持たなかったが、ウェブサイトで企業を紹介し、視野を世界に求め社員にもその意識を共有するように求めた。そして魅力的な企業であることを追求し、いまや連携している協力企業は50社を超える。パリ航空ショーにも出展し、社員の半数以上が一緒に行くことで「小さくとも世界企業」であることの実感を共有し、30年後の「100年企業」を目指す。

パリ航空ショーは世界中から13万8,000人のビジネス来場者があり、19万3,000人の一般来場者、2,000社以上の出展者、140機以上の航空機が集まり毎日デモンストレーション飛行がある。普通なら恐れ多いと躊躇してしまうところだが、ウェブサイトを見ると申し込みフォームがあり規定の料金を所定口座に振り込むだけで、相違点は申し込みフォームが英語で、通貨がユーロぐらいであることだけだった。

社員も1~2人を除くと語学に堪能な人物はいなかったが、全員が興奮し燃えていて、その後の企業のモチベーション向上につながった。「ものづくりは世界の共通言語で、職人同士は製品を通してコミュニケーションが出来る。まずは挑戦してみることだ。挑戦すれば、全員が次から次へと考え、モチベーションをあげていくことが自分自身の経験でも実感できた」と3代目社長は語る。

3代目の正人社長は42歳だが、見た目はまだ30代のように若々しく、とても世界を股にかけ動きまわっているようにはみえない。従業員の約半分は女性で多くはエンジニアである。2010年に欧州進出の5年計画を立てており、2011年・パリ航空ショー出展、2012年・現地オフィス展開、13年・現地法人立ち上げ、2014年・地元企業のM&A、2015年・現地工場稼動──とした。こうした計画の中で2011年にはイタリアの人工衛星メーカーから初受注が決まる。

商社、外資メーカー、日本の支社を通さず海外から直接受注がくるなどは想像もしなかったが、こうして一社依存体制からも徐々に抜け出て変化していったという。

大坪正人社長など、ものづくり中小企業のアイデアで2012年に全日本製造業コマ大戦が横浜で行なわれた。直径250ミリメートルの土俵上で直径20ミリ以下のコマを指で回し、外にはじきだされずに長く回っていたコマが勝ちという単純なルールだ。形状、材質に制限はなく、いわば私達が戦後遊んで流行していたベーゴマ大会のようなものだ。しかしいかに長く回り続けられるか、衝突してはじき出されたら負けなので、参加者は頭を絞って強いコマ作りに精を出す。

第1回大会には予選を勝ち抜いた16チームが全国から出場したが、年々参加者が増えているという。由紀精密では、SEIMITSUコマを1個864円で販売したところ、あっという間に数百個単位の注文が入ってきたという。

中小・零細企業の2017年問題

中小・零細企業群の中で2017年問題が注目点になっている。団塊世代(1947~1950年生まれ)の経営者が70歳を迎え始め廃業が急増すると予測されているからだ。日本の企業数は約380万社で99.7%が中小・零細企業といわれる(2014年・中小企業庁)。実は団塊世代の社長たちが引退し後継者不在の問題が起きているのだ。2009年以降の企業の休廃業、解散件数は毎年2万5,000件を越えており、今後さらに増え続けるとみられている。

しかも日本の人口は少子高齢化で人口減少が激しく、現在の出生率で計算すると2050年には1億人を割り、2100年には4,959万人まで減少するという(内閣府調べ)。政府は2080年に1億人に戻したいとしているが、それには今の出生率1.4人を1.8人にまで引上げなければならず現状では絶望的だ。

ちなみに2016年の人口減少は33万人だった。人口こそ成長の柱といわれているだけに早く有効な手を打たないと日本の将来は暗くなるばかりだ。かつてのように日本が世界から注目されず、日本人に元気がみられないのも人口減少、少子高齢化と無縁ではない。

そんな時代状況の中で日本の中小・零細企業に第二の創業時代が到来し、世界で再び活躍する企業が増えれば、世の中のムードも大きく変わってくる可能性もあるのではないか。そして細かく調査すると由紀精密のような企業は案外多く誕生しているのだ。政府や大企業はこうした元気な中小企業を応援し、さらに活気づけることだ。メディアや学生たち、その親も大企業ばかりに目を注ぐが、有望な中小零細企業を発見育てることが今の日本には極めて重要だろう。(TSR情報 2017年8月24日)

※ ブログに由紀精密様の画像や皇太子殿下が訪問された際の由紀精密社のFacebookの投稿を合わせて掲載しております。ご興味をお持ちの方は合わせて参照下さい。

時代を読む

image by: 株式会社由紀精密公式Facebook

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ジャーナリスト。1942年生。慶応大学経済学部卒業後、毎日新聞社入社。大蔵省、日銀、財界、ワシントン特派員等を経て1987年からフリー。TBSテレビ「ブロードキャスター」「NEWS23」「朝ズバッ!」等のコメンテーター、BS-TBS「グローバル・ナビフロント」のキャスターを約15年務め、TBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」に27年間出演。現在は、TBSラジオ「嶌信彦 人生百景『志の人たち』」出演。近著にウズベキスタン抑留者のナボイ劇場建設秘話を描いたノンフィクション「伝説となった日本兵捕虜-ソ連四大劇場を建てた男たち-」を角川書店より発売。著書多数。NPO「日本ニュース時事能力検定協会」理事、NPO「日本ウズベキスタン協会」 会長。先進国サミットの取材は約30回に及ぶ。

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【著者】 嶌信彦 【発行周期】 ほぼ 平日刊

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