最近日本でもよく見聞きするようになった「メディテーション(瞑想)」という言葉。日本ではリラクゼーションや霊的な意味を持つ言葉と考えられがちですが、アメリカでは少し異なるようです。今回の『メルマガ「ニューヨークの遊び方」』ではNY在住の著者・りばてぃさんが、アメリカにおけるこの言葉の意味と、それに関連する「スピリチュアル・ニーズ」という言葉について、ミスチルの新曲PVと関連付けながら興味深い考察をしています。
日本語に訳せない単語から考える多様性
ブログのほうでも軽くお伝えしたが、今週、ニューヨークでは5日まで『瞑想ウィーク』(Meditation Week)などというユニークなイベントが開催中。
(ご参考)
● なぜ私たちは瞑想するの? Why do we meditate?
アメリカではこのメディテーションは実はけっこう人気だ。
有名なスポーツジムでは、たいていどこでも瞑想のクラスを開催するほど一般的になっている。
また、日本でメディテーションというと、「癒し」や「リラクゼーション」のために行うものというイメージが強いように感じるが、アメリカの場合はそうではない。
日本語で説明するのがちょっと難しいのだが、少しでも「自己実現」に近づくために自分と向き合うための手段のひとつがメディテーション・・・という感じなのだ。
だから、若手の企業経営者などが強い関心を持っていたり、スポーツジムでクラスが開催されたりしているのである。
また、ブログのほうではまったく触れずにスルーしたが、ブログの記事の一番最後の一文
私たちの心の中の飢餓は、私たちのスピリチュアル・ニーズから生まれてくるのです
というのは極めて重要で、実はこれが、人間がメディテーション、つまり、瞑想を必要としている根本的な大もとの理由なのだと思う。
「スピリチュアル・ニーズ」って何?って思われた方も多いだろう。
日本語に訳さずカタカナで表記したことからもお気づきのとおり、この単語は、日本語に訳せない。
無理やり訳すと、霊的な欲求とかになるのだけれど、霊的な必要という、そんな日本語は存在しない。
訳したことになっていない。
だいたい、このシチュエーションで使われている英語のスピリチュアルの意味を「霊的」と訳したら間違いじゃないかと思う。
ここで言うスピリチュアルは、スピリチュアル以外の何ものでもない。
まさに文化の多様性を示す典型例と言えるだろう。
かなりザックリと大まかな説明になるが、スピリチュアルとは、キリスト教的世界観に基づいた言葉で、神様と繋がっているとか、神様の愛を感じられるというような状況を意味する。
ニーズは日本語でも使われるニーズ(欲求や必要性)。
だから、「スピリチュアル・ニーズ」は、神様と繋がっていたり神様の愛を感じたいという欲求という意味になる。
霊的な欲求より、ずっとわかりやすいだろう。
実際、「スピリチュアル・ニーズ」で検索をかけると、まさにそのような検索結果が出てくる。
例えば、今、「スピリチュアル・ニーズ」で検索すると出てくるのが上から主なものを挙げると
- 末期がん患者のスピリチュアル・ニーズについて
- 日本人の死生観 ~そのスピリチュアルニーズとキリスト教~
- 在宅がん療養者の家族関係にかかわるスピリチュアルニーズの特徴
などなどとなっている。
「死」を前にした方々の神様と繋がっていたいというような欲求に関する情報を掲載するウェブサイトがずらりと出てくるのだ。
「スピリチュアル・ニーズ」という言葉は非常に深い意味を持つということなのだろう。
さて、ところで、「スピリチュアル・ニーズ」についていろいろ考えていたら、ふと、思い出したことがある。
ミスターチルドレンの新曲「himawari」だ。
映画「君の膵臓が食べたい」の主題歌に使われた曲で恋愛を歌った歌詞になっている。
この曲のミュージック・ビデオが9月7日に公開され、まだ1ヶ月も経っていないのに、すでに300万回以上再生された。
(ご参考)
興味深いのはそのミュージック・ビデオの冒頭のシーン。
病院らしき施設の一室、つまり、病室の一番奥の窓際にあるベッドに寝ている奥さんらしき女性のお見舞いに花束を持って男性が訪れる。
かなり芸術的に表現されたアニメーションであるため二人の年齢などはわからない。
しかし、その歌詞にある
優しさの死化粧で笑っているように見せている
とか、
想い出の角砂糖を
涙が溶かしちゃわぬように
僕の命と共に尽きるように
ちょっとずつ舐めて生きるから
などから考えると、病室のベッドで寝ている彼女には、何の病気かはわからないけれど、「死」が迫っていて、おそらくこの冒頭のシーンは、回想シーンなのだろう。
洗練されまくった歌詞の意味の深さだけでも、シビレまくりなのだけれど、そこに才能とセンスの塊って感じのミュージック・ビデオ。
とにかくすごい。
すごいところはいっぱいあるが、ミスチルらしいなと感じたのが以下の歌詞の部分
諦めること
妥協すること
誰かにあわせて生きること
考えてる風でいて
実はそんなに深く考えて
いやしないこと
思いを飲み込む美学と
自分を言いくるめて
実際は面倒臭いことから
逃げるようにして
邪(よこしま)にただ
生きている
・・・皆さんは、このミスチルの歌詞から何を感じられただろうか。
日本は世界の他の国々と比べたら信じられないくらい豊かで平和で安全で、とても素晴らしい国だけど、どんなものにでも、良い面と悪い面、長所と短所がある。
日本にも社会を取り巻く閉塞感や目には見えない呪縛のようなものは確かにあって、それが巧みにこのhimawariのミュージック・ビデオに描かれているように思う。
誰もが、仮面を被って自分の本当の顔を隠し、誰かにあわせて生きてるのはまるで戦場のような日常・・・。
そんな日々の中で、この歌の主人公を支えていたのは、himawariのような彼女だった。
で、その彼女との素敵な思い出の回想シーンがどのように描かれているかというと、その彼女と彼とのダンス。
しかもその振り付けが、ちょうどいい。
というか、何もかもが素晴らしい。
このミュージック・ビデオを作った監督は、ニューヨークに住んでいるんじゃないかと思っちゃった(笑)。
image by: himawari公式ミュージック・ビデオ