先日発表されたノーベル文学賞は、受賞者が日系イギリス人のカズオ・イシグロ氏と発表されたことで、日本中で大きな話題となりました。2016年にドラマ化された同氏の作品『わたしを離さないで』をご存じの方も多いのではないでしょうか。株式会社Gonmatus代表取締役で夢実現応援家の藤由達藏(ふぢよし・たつぞう)さんは、過去に運営されていたメルマガの中でカズオ・イシグロさんが小説を書き始めた意外な理由について紹介しています。
小説の舞台
先日、NHKの文学白熱教室を見ました。
イギリスのブッカー賞作家カズオ・イシグロ氏の講演をおさめた番組でした。
5歳くらいまで日本で過ごし、その後両親の仕事の関係で渡英。
以来、きっと日本に帰るだろうと思っていたそうです。
しかし、現実にはそうでなく、記憶の中にある日本を形にしようと小説を書き始めたそうです。
ストーリーは架空であっても、あの日本の空気、あの日本の雰囲気を留めようと思ったのだそうです。
そして、二作、日本を舞台にした小説を発表。
好意的に受け止められ、人気を博しました。
しかし、その人気の真相に気づきます。
欧米人たちは、自分の小説の中に、「日本人のモノの見方」を読み取っているのだと。
彼としては、自分オリジナルの感性を小説に投入していたつもりでした。
個人の感覚が、日本出身であるというだけで、日本人の典型的な感覚であると誤解されていたのです。
そこで、
「もしも自分から日本という要素を取り去ったら、果たして、今までのように受け入れられるだろうか?」
そんな疑問を持ち始めます。
それから、プロットはそのままで、舞台をイギリスにするということで、『日の名残り』を発表。
『日の名残り』
イギリスの執事の物語でした。
それは、舞台をどこにとっても作品を作れるということを自ら実証した作品でもありました。
以後、彼は、舞台設定はどこにでもできるということを知り、過去でも未来でも、SFにでも出来ることを知りました。
かえって、それが新たな悩みにもなったそうです。
今度は、どの舞台を選ぶかということに時間をかけなければ気が済まなくなったのです。
つまり、舞台に自明性がないということです。
決め手がないのです。
どんな舞台であっても、表現できるのです。
最適な舞台を選ばなければなりません。
ある作品では、二回ほど途中まで書いた舞台を反故にして書き上げたそうです。
数年に一作ずつ発表する作家カズオ・イシグロ。
彼の創作の裏側を知って、小説制作のヒントを得たような気がします。
image by: Wikimedia Commons(Bex.Walton)