小池都知事はなぜ前原誠司氏の期待に応えて総選挙に打って出る決断をしなかったのか。一つは、「負け戦さ」を恐れたということだろう。
言葉尻を捉えるのがマスコミのサガだが、例の「排除する」「さらさらない」という、上から目線の姿勢がメディアで拡幅され、小池氏の人気に急速に陰りが見え始めた。
そんななかでは、どのような言葉を尽くそうとも、言い訳に聞こえ、裏目に出る。しかも、たった1年で都知事の仕事を放りだせば、ごうごうたる批判が巻き起こる。そのときに、なぜ国政に転じるのかについて、国民を納得させる説明は難しい。もし出馬して不首尾に終われば、東京都知事のままのほうがよかったと後悔するだろう。
もうひとつ、見落とせない点がある。かりに野党陣営への政権交代が実現したとしても、ポスト安倍は「損」な役回りであることだ。
自民党は参議院で過半数を占めている。いくら衆議院で多数派を形成しても、「ねじれ国会」が政策遂行の厚い壁になることは民主党政権や、その前の第一次安倍政権、麻生政権で実証済みである。
しかも、安倍政権は株価上昇を狙って年金積立金を注ぎ込み、日銀に紙幣を刷らせて国債を大量に買わせ、マーケットのバブルをつくりだしている。好景気らしく見せかけるためだ。
当然、ポスト安倍の政権が金融政策を正常化しようとすれば、そのバブルはあっけなく崩壊するかもしれないのだ。アベノミクスの尻拭いを引き受ける覚悟がなければ、総理になるのはやめたほうがいい。
小池氏は、チャンスはまだ先にあると、自分を買いかぶっていたのではないか。だから、前原氏から合流話を持ち込まれ、一時は政権奪取の野望を刺激されて欣喜雀躍したものの、はからずも若狭勝氏が口を滑らせたように形勢不利とみて「次の次」狙いに戦線を縮小した。
だが、党としての総理候補を示さない曖昧な姿勢は、選挙後の勢力図しだいで、自民党と連立したり、石破茂氏か野田聖子氏を首相候補として担ぐこともあるのでは…などと憶測を呼んだ。民進党出身者の気持は鬱々と燻るばかりだっただろう。