国権か民権か。衆院総選挙前に改めて考える「リベラル」の定義

 

「押しつけ憲法」論の無知蒙昧

以上のような明治早々からの国権派vs民権派の対抗構図は、その後もいろいろに形を変えながら続いてきて、自由民権運動」は明治憲法発布と帝国議会開設を待たずに弾圧され分解してしまうが、自由民権思想」はそうではなく、兆民の直弟子の幸徳秋水をはじめ多様なチャンネルを経て大正デモクラシーから昭和の社会主義運動や反軍闘争、石橋湛山の小日本主義の提唱などに受け継がれていく。

それらが第2次大戦後、解き放たれて「戦後民主主義の潮流となっていくのだが、その途中経過は今は全部端折らせて頂いて、憲法との関わりだけを言えば、戦後直後の憲法議論でいちばん重要だったのは鈴木安蔵ら7人の「憲法研究会」による1945年12月発表の憲法草案要綱で、これがGHQの憲法起草作業にも一定のインパクトを与えたと言われている。この鈴木は、自由民権運動史、とりわけ植木枝盛の研究者で、そのため鈴木らの憲法草案には60年以上前の植木草案の直接の影響を受けたと思われる条項も入っていたという。

この時期に民間で起草された憲法草案は14篇ほどあるそうで、明治10年代前半の勢いには及ばなかったとしても、解き放たれて自分らの手で新しい憲法を作ろうという気運が再来して百花斉放的な事態が生じた。しかし占領下では米国主導となるのは避けられず、とはいえGHQ内にも開明派や民主派がいてそれなりに日本側の努力を組み入れようとする努力もあって、まあ要するに日米合作で今の憲法は出来て、その一部には明治民権派の思想も流れ込んでいたのである。

だから、単純頭脳の右翼がこれを占領軍による「押しつけ憲法」だと言い募り、さらに輪をかけて安倍首相がこれを「みっともない憲法ですよ」とまで言い放ったのは、申し訳ないが、日本の近代史についての無知蒙昧のなせる業でしかないのである。

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