漁業を救った「よそ者女性」と、畜産業を救った「インテリ長男」

 

家のブタをプロデュース~感動がある稼げる農業

養豚農家の長男として生まれた宮治だが、家業を継ぐなど考えたこともなかった。慶應大学時代は、ベンチャー企業を立ち上げて六本木ヒルズに住み、フェラーリに乗る。そんなことを本気で夢見ていた。

大学卒業後、いったんはパソナグループに就職。しかし自分にしかできないことは何かと問い続ける日々だった。そんな時に思い出したのは、父が育てた豚で友人とバーベキューをした時のこと。「お前の家の豚肉、うまいな。どこで買えるんだ?」と聞かれて、答えられなかった。どこで売られるかを農家が知る術がなかったのだ。

「農業は地域で産地を形成して地域で同じものを作って、生産者の名前を消して地域の名前で流通していく。これってすごい問題だなと」(宮治)

宮治は27歳の時、サラリーマンを辞めた。父親のおいしい豚をブランド化し自力で売ろうと決意したのだ。

しかしそこに立ちはだかったのは、ほかならぬ父・昌義だった。「農業に一種の革命を起こす壮大なことをぶち上げた。そんなのはとても夢物語と言うか、お前の言ってることは地に足がついていないと言って、一蹴して相手にしなかった」と、父は当時を振り返る。

何度も父を説得し、ようやく首を縦に振ってもらったが、越えなければならないさらなる壁があった。

宮治の家では生後6ヶ月、120キロに育てた豚を出荷している。通常なら農家の仕事はここまで。出荷した豚は食肉処理場で解体され、問屋が買い取る。問屋はこれをバラやロースなどに切り分けるが、通常、小売店などに卸す段階で他の農家の豚とまざって、生産者が特定できなくなってしまうのだ。

だが宮治は、常識を覆すやり方を考え付いた。それは飲食店などから注文があった分の肉を問屋から買い戻すという方法だった。いくつもの問屋に断られたが、ようやく応じてくれるところを見つけた。小田原市の総合食肉卸「オダコー」だ。

「聞いたことがなかった、農家が販売に携わるというのは。すごいなと思いました」(高橋亮太社長)

買い戻した肉は、その場で顧客の注文通りにカットしてもらう。さらに梱包から発送まで問屋に委託。こうして、たった一軒の農家でもブランド豚として流通させるルートを作り上げたのだ。さらにネット通販のサイトも開設。だれでも直接買えるようにした。

今や直販の「みやじ豚」は、宮治家が出荷する豚の6割にのぼり、売り上げは7倍に。何よりのメリットはお客の顔が見えること。反対だった父親も「みなさん満面の笑みで満足しているのを見ると感慨無量で。いつも日々感謝している」と語る。

さらなる開拓へ~海外進出&若手農家の新集団結成

萩から東京に、萩大島船団丸の坪内がやってきた。向かったのはミシュランで一つ星を獲得したフレンチの名店、渋谷区の「ア・ニュ」。ここは坪内が開拓したお得意さんのひとつ。坪内はこうして取引先を訪ねてはニーズを汲み取っている。

この日はエクゼクティブシェフの下野昌平さんから新たな商談を持ちかけられた。香港に出す予定の新たな店にも、船団丸の魚を届けてほしいというのだ。

「海外でも船団丸のようなシステムはないでしょうし、鮮度や味は確かなんで、わかってもらえると思います」(下野さん)

「国内のみではなく、海外も含めて世界の市場に少しずつ出していけたらなと思っています」(坪内)

一方、みやじ豚の宮治も新たな活動を始めていた。自分と同じ、若い農家の跡継ぎを支援するNPO法人農家のこせがれネットワーク」を立ち上げたのだ。

NPO設立の狙いを、宮治はスタジオで次のように語っている。

「農家のこせがれが、家業の魅力と可能性に気づいて、実家に帰って農業を始めて、親父の持っている地盤、看板、農業技術と、自分が持ち帰ったビジネスのスキル、ノウハウ、ネットワークを融合させて新しいビジネスモデルを作っていけばまだまだ日本の農業は面白くなるんじゃないかと思います」

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