日本最大級の介護施設~高齢者のレジャーランド
さらに、「たんぽぽ」には利用者が積極的にリハビリしたくなる仕掛けもある。
ロープで体を支えて行う柔軟性やバランス向上のトレーニング。それが終わると、参加者はなにやらお札のようなものを受けとっている。これは「シード」という「たんぽぽ」だけで使える施設内通貨。リハビリをすればご褒美がもらえるのだ。
階段を上がってきたのは中原みふささん(88歳)。実は一昨年、骨盤の一部を骨折。当初は車椅子生活だったが、「たんぽぽ」で歩行訓練をすること1年、いまでは普通に歩けるようになった。歩行訓練では、100メートルのコースを1周するごとに100シードもらえる。中原さんは10周を30分足らずで歩いた。シードが利用者のヤル気を引き出しているのだ。
そんな仕組みを作ったのが、たんぽぽ介護センター代表の筒井健一郎(69歳)だ。
「要介護状態など、お年を取られると、ほとんど家族がお金や通帳や印鑑や財産を管理することになるんです。そこでこの施設の中で経済活動やってみようよと。人間って不思議と『稼ぐ、貯める、使う』というのが生きる根本じゃないですか」(筒井)
シードをがっぽり稼ぎたいという人のために、カジノまで用意されていた。これも脳を刺激するリハビリのひとつなのだという。
貯まったシードを使う仕組みもある。喫茶コーナーでは500シードでお茶とお菓子のセットが楽しめる。シード専用の売店では、小袋のスナック菓子が200シード。飴3つで100シード。ちょっとした買い物が楽しい。
そして多くの利用者の目標が「あなたの夢 叶えますツアー」。介護士が買い物などの街歩きや小旅行に連れて行ってくれるのだ。
伊貝和子さん(78歳)は20万シードで念願のツアーへ行くことになった。およそ40分かけて到着したのは名古屋市内の霊園。伊貝さんの夢は墓参り。ここには一昨年亡くなったご主人が眠っている。一人では来ることもままならなかった。リハビリを頑張ったご褒美のシードが伊貝さんの夢を叶えてくれたのだ。
この施設のもう一つの自慢がランチ。専門スタッフが毎日手作りする。特に気遣うのは栄養のバランスとカロリー。実は一人暮らしの高齢者の多くが自宅で満足な食事を取っていないという。厨房チーフの堀野由美は「ここに来たときぐらいは、外食のつもりで食べていただきたいと思います」と語る。
ランチは調理スタッフの思いがこもった日替わりのバイキング(昼食代648円)。20種類のメニューから、好きな料理を自分で取り分けることもリハビリになる。体を動かすから、みなさん食が進むという。
たんぽぽグループは有料老人ホームも運営している。「たんぽぽ本神戸」には、現在40人ほどが暮らしている。グループはこのほか、認知症のグループホームや訪問介護ステーションなど11の施設を運営している。創業以来、右肩上がりで成長。グループ年商は17億5000万円に及ぶ。
「キーワードはお年寄りのディズニーランドを目指そうよ、と。喜んでもらえていることを実感できるから介護はすごいんです」(筒井)
集団就職から浮き草稼業~社長にはなったけれど…
たんぽぽ温泉デイサービスに大型バスがやってきた。続々と降りてきたのは全国から集まった中小企業の経営者や幹部たち30人。介護とは関係ない異業種の人たちだ。
視察に訪れた彼らが見ているのは従業員の接客。「たんぽぽ」のスタッフの利用者に寄り添う働き方が、注目を集めている。モットーは「従業員も客もハッピーになれる」会社だ。
「お客様だけが楽しんで、従業員は辛い思いをしていたら、お客様はいつか従業員の対応、振る舞いを見て、もうそんなところに来たくなくなる」(筒井)
「従業員ファースト」を掲げる筒井だが、その背景には過去の苦い経験があった。
筒井は1948年、大分県の山あいの貧しい農家に生まれた。中学を卒業すると、集団就職で愛知県岡崎市へ。大手企業の工場で働くも、わずか4年で辞めてしまった。
「いいこと、いい仕事があるだろうと思って名古屋に来て、でもやっていたのは仕事を転々とする浮き草稼業でした」(筒井)
その後、土建業や弁当屋、ナイトクラブなど職を転々とした。
2人目の子供が生まれたとき、「家族のために真剣に働こう」と心を入れ替えた。仕事は運送会社の長距離ドライバー。寝る間も惜しんでハンドルを握った。その働きぶりが認められ、35歳の若さで子会社の社長を任されることに。9人でスタートした物流会社は、10年で従業員500人を抱えるまでに成長した。
だがそれは筒井が、若き日の自分のように従業員をがむしゃらに働かせた結果だった。
「『お前なぜ休むんだ。会社は忙しいのに休んでいる場合じゃないだろう』と言って。人に対する思いが薄かったんですね」(筒井)
やがて人を駒としてしか見ていなかった筒井は窮地に立たされる。労働組合が結成され、長時間労働や残業代の未払いが問題となったのだ。「あんたそれでも社長かよ!」「従業員をなんだと思ってんだ!」……次々と飛んでくる罵声に筒井は唇をかんだ。
「もう悔しいなんてものではなかった。(机を)ひっくり返したかったけど、じっと我慢しました」(筒井)
筒井は自ら、物流会社の社長の座を退いた。その後2年間は無職。蓄えを切り崩しながら生活を送った。