●セカンドオピニオンとも関連がある、ドライ感
さらにいくつか抜粋していきます。
あくまで自分の感覚を優先する、そんな感じを受けます。
自分が聞いたときに表現から受ける感覚に基づいて答えてくれました。シンプルながら、スッキリわかりやすい答えです。「自分本位」ということですね。
「参考にする」が失礼なのは、いただいたアドバイスや指導のとおりに実践しようとするのではなく、「自己判断で取捨選択しよう」とする姿勢の現れだから、と思いました。
「自己判断で」「取捨選択」は、日常生活では当たり前なのに、それを堂々と宣言したのではストレスを与える状況がある、ということでしょう。
セカンドオピニオンが日本でなかなか定着しないのは、ここに原因があるのでしょうね。どんな治療を受けるかを決めるのが「自己責任で取捨選択」なのは、根本的にはパソコンを選ぶのと変わらないはずですが、だからこそなのか、セカンドオピニオンを希望すると不機嫌になる医師が少なくないそうです。
「インフォームド・コンセント」(十分に情報を与えられた上での合意)の概念を重視するなら、他の医師や病院からも情報を得ようとするセカンドオピニオンは、ごく当たり前の姿勢です。
本来は、病院や医師の側から「セカンドオピニオンを受けますか」と尋ねなければおかしい。希望されたらセカンドオピニオンを受ける際に必要な紹介状を作成する、そういう制度にしていかないといけない。ここでの「紹介状を書いてください」は「レシートください」と同じ感覚で受けたり言ったりするものでしょう。だから「紹介状を書いてほしいんです」「なぜですか」というやり取りは、非常におかしい。
デパートで買い物をしたときに「領収書をください」と求めて、「えっ、なぜですか」と問われたら変ですよね。デパートも病院も、「利用」するものです。この感覚はどんなに強く持っても強すぎることはないでしょう。
とはいえ、かつては病気やケガや薬剤についての知識量に差があるから無批判に受け取るしかなかったのだから、今はセカンドどころか、サード、フォース、フィフスと100人くらいの医師の判断を「参考」にして、妥当と思われる診断を「正しそう」と判定したらいい。そういう仕組みが作れたら、世界中の人々が救われるでしょうね。統計やITやAIの専門家がきっと実現していくことでしょう。
医師の診断に関しては、ファーストオピニオンだろうとセカンドオピニオンだろうと、「参考にする」が正しい。失礼も何もありません。参考にしながら、「利用」するかどうかを検討すればいい。
しかし、この「利用」とは区別されるのが、「指導を受ける」場面です。師匠に請うて弟子入りするような場面なら、最もわかりやすい。
ピアノの弾き方について指導を受けたら、そのとおりにできるように努力するのが妥当です。がんばってもなかなか上手にできないのは仕方ないとしても、「そもそもやるつもりがない」としたら、「次回から来なくてよろしい」と破門宣言、指導終了宣言をされてもおかしくはない。
「いや、別のピアニストは違う意見だったんで」「ネットに別の意見もありましたけど」などと言って、アドバイスに従わなかったら、「だったらそちらのピアニストに習いにお行きなさい」と放り出されるでしょう。
サービスの「利用」とは違って「教え」ですから、そのまま受け取らなければ行先がおかしなことになります。
上司や恩師からアドバイスを受けた場合は、「サービスの利用」ではなく「教え」として受け取るのが妥当でしょう。もちろん、相手のほうから「私の話なんか参考程度に聞いてくれればいいからね」と言われたとしても、ですよ。