フランスの哲学者ミシェル・フーコーによれば「同性愛は不道徳」という概念は19世紀の産業革命の文脈から生まれたとされています。産業革命により「公=工場」と「私=家」が分離され、そこに男と女のジェンダー区分(社会的な性)が重なり、それをより確かなものにするために、男女が永続的に結びつき(=結婚)、次世代の労働力を生産(=出産)するという家族形態が必要になったというのです。
そして、それが「正しいセクシャリティ」として高い価値がおかれる一方で、同性愛などは不道徳とされるようになった。「子どものいない夫婦、婚外子」なども、不完全で差別の対象となっていったと解釈されています。
つまり、ジェンダー論で恋愛や結婚を捉えると「普通」とされていることが実は作られた普通であり、人の本能によるものではないという結論に行き着く。
男性と結婚し、子どもも出産し、今は女性と交際・同居する勝間さんは、ある意味、本能にしたがっているだけ。誰もが例外なく、自由を求め、自分らしく生きたいと願っているのに、LGBTを偏見のまなざしで見るのって、おかしくない? などと思ってしまうのです。
私が関わっているLGBTのグループの中には、女性同志で生活し、子ども2人を授かったカップルがいます。彼女たちは「子どもがイジメられないよう」と「自分たちの関係性」を理解してもらうために、お母さんたちのグループに積極的に参加していました。
「いちばんしんどいのは『子どもには男親が必要』と言われてしまうこと」と彼女たちは嘆いていました。勝間さんのカミングアウトが、そういった偏見のまなざしも和らげてくれるといいなぁ、と心から願っています。
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