そして、気が付いたときには、大事な青少年期を棒に振っています。過保護・過干渉の保護者の下で、猫っ可愛がりされることで、牙を抜かれた家畜に成り下がってしまった子。「自分は親の盲目の愛によって、自立できない役立たずにされたんだ」、そのような恨み心が生じてもおかしくはありません。
「自分だけでは何もできない」
「親の保護の下でしか生きられない」
「社会の荒波は渡れない」
「他人との関係が築けない」
「異性と付き合うことなど考えられない」
自力で逃れられなければ、待っているのは、ニートに引きこもり、あるいは家庭内暴力。こんな子供たちの姿を見たくはありません。
心を病んだ若者が起こした、事件の報道を聞いても、被害者の悲惨さもさることながら、加害者の「絶望」も真に心に迫ります。成人になれば、責任は本人にあるのは当然ですが、保護者の育て方で何かできることがあったのではないかと、残念で仕方ありません。
子供に対する真の愛は、自立できるように育てることだと思います。自立するとは、自分で稼げることであり、それは社会の役に立つということです。社会に有用であるためには、厳しく育てることも必要です。
だから、甘やかしだけではなく、時には地獄の特訓も、砂糖菓子のような愛ではなく、スパイスの効いた栄養価の高い食事を与えることだって大切です。それは獅子が、わが子を千尋の谷に落とすのと同じです。
私たち親は、ついつい子供を親の所有物だと思いがちです。でもこれは間違いです。あくまで子供は、神様からの預かりものだと思うことです。だから、大事に有為な人材に育てるのです。これは、親の聖なる義務であると同時に、子供に対する本当の愛なんだと思います。
人は、安逸をむさぼるために、産まれてきたのではありません。他人や社会のお役に立つために、産まれてきたのです。
甘やかしや過保護は人をダメにします。時には「地獄の特訓」も子供が成長するきっかけになります。虐待になってしまっては本末転倒ですが、「優しさ8割、厳しさ2割」で接してみることをお勧めします。心がけることは「自立できる子」です。
古人曰く(いわく)「艱難(かんなん)汝を玉にす」。
こしがやじろう
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