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色褪せぬ思い出。嶌信彦が語る同期の親友・岸井成格の早すぎた死

毎日新聞社特別編集委員で、テレビの報道番組でもコメンテーターとして活躍していた岸井成格(しげただ)さんが2018年5月15日、肺腺がんのため73歳で亡くなりました。毎日新聞時代の同期であり、長年の親友であったジャーナリストの嶌信彦さんが、自身の無料メルマガ『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』で岸井さんとの思い出の日々を振り返りながら、その早すぎる死を悼んでいます。

二人三脚の相方だった岸井記者の早すぎた死

友人で毎日新聞に同期入社した岸井成格氏が5月15日に亡くなってしまった。肺腺がんだった。一時は回復していたが、今年に入り再び体調を崩し遂に還らぬ人となってしまった。まだ73歳。政治記者としてこれからさらに円熟味を出してゆく個性派記者だった。

私と岸井は1967年に毎日新聞に一緒に入社した同期ワシントン特派員も一緒に過ごした。入社試験のあった1966年は“40年不況”の直後で、入社人数は例年の3分の1程度と少なかった。入社するとまず地方支局へ行き、その地方の社会、政治などを担当し4年ほど修業してから本社へ行く慣わしだった。地方で一通りのことを学び、その間に地方版紙面を作るのだ。私は東北の秋田でみっちり先輩記者三人にしごかれ、岸井は九州の熊本で初任地を迎えていた。

東京本社では岸井が政治部、私は経済部へ配属された。政治は自民党の天下自民・社会の55年体制の真っ只中にあった。一方、経済は日本が高度成長への足がかりをつかみ、二度の石油ショックにもめげずGNP大国へと突き進んでいる最中だった。

政治は三(木)、角(栄)、大(平)、福(田)、中(曽根)が覇を競い、とりわけ田中角栄の列島改造高度成長路線と福田赳夫の安定成長路線が雌雄を決し合っていた。また、経済では日本企業が世界に輸出攻勢をかけ日米が経済摩擦で火花を散らしあう時代だった。まさに政治と経済が一体化し熱気にあふれていた。私も岸井も30~40歳台で血気盛んな中堅記者だったように思う。

特に政治と経済が密接な関係にあり、日米問題も絡むことが多かっただけに、二人で情報交換を密接に行ない連日のように連絡を取り合っていたものだ。なかでも面白かったのが政治と経済の人の動きを追いながら世の中の動きを予測したり、時には「こうあるべきだ」などといった解説記事やキャンペーンを張ったりしたことだった。

岸井はそのまま政治部一筋で政治部長、編集局次長などになり管理職の道を歩むが、私は管理職より現場にいた方が肌に合っていると思い、管理職の道を断り45歳のときに毎日を退社。フリージャーナリストの道を選んだ。ただ二人の関係はその後も変わらず、情報交換や共通の勉強会会合をいくつも持って今日まで至ってきた。

岸井は喋りが上手かったので途中から主戦場をテレビに移し記者時代以上に社会に影響力を及ぼしたように思う。ただ残念だったのは喋る時間が短かったことだ。これから一層のベテラン記者として単なる解説ではなく日本政治秘史などから見た、日本論をもっと語ってもらいたかった。

(財界 2018年6月26日号 第473回)

※ なお、下記ブログには毎日新聞Webに掲載された岸井様のお別れ会に関する動画や、ワシントン特派員時代のお写真を掲載しております。よろしければ合わせて参照ください。

時代を読む

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ジャーナリスト。1942年生。慶応大学経済学部卒業後、毎日新聞社入社。大蔵省、日銀、財界、ワシントン特派員等を経て1987年からフリー。TBSテレビ「ブロードキャスター」「NEWS23」「朝ズバッ!」等のコメンテーター、BS-TBS「グローバル・ナビフロント」のキャスターを約15年務め、TBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」に27年間出演。現在は、TBSラジオ「嶌信彦 人生百景『志の人たち』」出演。近著にウズベキスタン抑留者のナボイ劇場建設秘話を描いたノンフィクション「伝説となった日本兵捕虜-ソ連四大劇場を建てた男たち-」を角川書店より発売。著書多数。NPO「日本ニュース時事能力検定協会」理事、NPO「日本ウズベキスタン協会」 会長。先進国サミットの取材は約30回に及ぶ。

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【著者】 嶌信彦 【発行周期】 ほぼ 平日刊

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