早大の政経学部入試で「数学」必須へ。加速する世界の「数学化」

 

このような観点からは、須賀晃一学部長の「基礎的な力と同時に、論理的思考力を身につけた学生に来てもらいたい」という発言は少々気になるところだ。いま日本では、主に「文系ビジネスマン」の間で、ロンリ、ロンリという言葉が独り歩きをしているが、正直言って、教科書を一冊読んだくらいで身につく程度の論理力では、第四次産業革命後の世界ではほとんど役に立たない。

真の論理力はプログラミング技能で試されるといっても過言ではない。論理的に完璧でなければプログラムは動かない代物だからだ。プログラムのバグが取り切れないうちは論理力などないに等しいと思った方がよい。

第一次産業革命後、第二次・第三次産業革命で世界の後塵を拝し、「英国病」などと揶揄されたイギリスで、すでに始まっているプログラミングの義務教育が何を意味するのか、あるいはアメリカのMITが開発した幼児用のプログラミング言語スクラッチジュニアがどう世界を変えるのか。大きく出遅れてしまった日本はこれから必死で巻き返しを図らない限り世界の二流国への転落は必至だ。

もう一つ心配なのは、

共通テストの外国語、国語、「数学1・数学A」を必須とし、さらに地理歴史、公民、理科、「数学2・数学B」の中から一つを選ぶ。このほか、英語民間試験と学部独自に行う日本語や英語の長文読解で受験生を選抜する。

という選抜方法だ。これらの技能は、150年前の明治維新において、プロシアから輸入した「暗記型スキル」の試験であり、残念ながらAIが最も得意とする分野なのである。

世界の一流大学では、もはや、このような旧態依然とした選抜体制は取っていない。たしかにペーパーテストはあるが、アドミッション・オフィスは、自分の大学の卒業生たちの助けを借りて、探究心のある自律型の学生を徹底的に面接し、「創造的で多様な人材」を確保することに力を注いでいる。ペーパーテストだけでは、「暗記力に頼る均一な人材」を優先的に選抜することになってしまい、AI時代にそぐわないからだ。

少々、辛口に過ぎたかもしれないが、今回の入試改革は、「初めの一歩」だと考えれば、政経学部で数学を必須にしたこと自体は、大いに評価できる。実際、最新の経済学の教科書には、これまで物理学科でしか教わることのなかった「ラグランジアンという関数が登場している御時世なのだ(ラグランジアンは経済学では、費用を意味する)。

もはや、文系・理系という区分は無意味だ。世界はひたすら数学化(情報科、プログラミング化)されてゆく。誰もこの怒濤の流れから逃れることはできない。

 

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