イジメ被害者の訴えも同じだ。
「イジメを止めさせてほしい」
「イジメでつらい思いをしているのは私なのに、どうして、イジメられている私の言うことや話を聞いてくれないの」
「いじめっ子のクラス替えはできないの?イジメを取り除くことが出来ないのであれば、せめて私を守ってもらえないの。できることはないのですか」
イジメは授業中におきるわけではない。休憩時間、昼休みが中心だ。この子だって、忙しい担任の先生に無理を言いたいわけではあるまい。たとえば、巡回の先生に来てもらうとかの方法も考えられる。イジメで苦しんでいる子どもたちを、保健室というあたたかい空間に移動させるとか、いろいろ創意工夫できることがあるでしょう。
「どうして提案してくれないのですか。担任の先生の一人の判断でできないのですか。では、校長先生とお話しさせてもらえませんか」
しかし、担任の冷たい一言ですべてが終わる。
「そんなことをいうのは貴方だけです」
「学校の規則ですから」
「校長先生は忙しいのです。あなたの相手などしていられません」
これでは、もう子どもは引きこもるしかありません。
高齢者から、適切な治療や食事を奪ってはならない。幸福に人生を終焉する権利を奪ってはならない。子どもから教育を受けられる権利を奪ってはならない。未来への希望を奪ってはならない。病院にとって、患者さんは大切な医療チームの一員である。学校にとって、子どもは大切な宝物に他ならない。
本当に患者さんの病気を治したいのであれば、子どものイジメを無くしたいのであれば、人間の痛みと苦しみに寄り添い、その針や棘を抜いてあげる努力を続け、安寧と平穏な心境を与えていく努力を決して惜しまない、そんな医療者、そんな教育者でありたいと私は願っている。
前名古屋市教育委員会 SSW 社会福祉士 精神保健福祉士 福祉系大学講師
堀田利恵
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