彦九郎の勤皇思想は徐々に幕府から危険視されるようになり、危険を感じた彦九郎は久留米の友人宅に身を隠していました。ところが1793年、彦九郎は突然自刀してしまいます。京都の方角に体を向けて、柏手を打ち、そのままの姿勢で座り続けたとのことです。
彦九郎の自刃の理由は今も謎のままです。ただ、彦九郎が全国に広めた尊王論は、吉田松陰をはじめ、維新という一大事業を成し遂げるさきがけになりました。
その後幕末の勤皇の志士たちに、多大な影響を与えることになったことは確かです。
三条大橋の彦九郎の銅像は、国の一大事があれば、いつでも天皇のために立ち向かうぞという意気込みを感じます。歴史上あまり有名ではないものの後世に多大な影響を与えた彦九郎の存在を感じながら見上げてみて下さい。
京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。
image by: Ogiyoshisan [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons
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