先日、2016年に山梨市立中学で発生した「教員による女子生徒髪切り事件」が報道され、各所から非難の声が上がっています。なぜこのような事態が起きてしまったのでしょうか。今回のメルマガ『伝説の探偵』では現役探偵で数々のいじめ問題を解決してきた阿部泰尚(あべ・ひろたか)さんが、自身が入手したさまざまな記録や資料を元に、この事件の「真相と闇」に迫っています。
女子生徒髪切り事件の闇
共同通信2019/01/09
山梨県山梨市の市立中学校で2016年6月、教員らに髪を切られ、急性ストレス障害などを発症し不登校になったとして、元女子生徒が8日、当時の校長ら4人に対する傷害容疑の告訴状を甲府地検に提出した。
生徒側の弁護士や家族によると、学校側は16年6月上旬、生徒が周囲から体のにおいを巡っていじめを受けているとして調査した際、本人と話し合った上で髪を切るよう指導。生徒は同月7日に自宅で母親から散髪してもらったが、翌8日の下校前に教員らの呼び出しを受け、校内で髪を切られた。
生徒は意に反する髪形となって多大な肉体的、身体的損害を受け、翌日から不登校になったとしている。
前提にあった人種差別(体臭いじめ)
元女性生徒A子さん(氏名などについては個人情報保護に配慮)は、山梨県内の市立T中学校に通っていた。髪切事件が起きるまでは、病欠を除き不登校という気配もなく学校に登校していた。
ただし、いわゆるハーフであったA子さんは、クラスの生徒らから「体臭」いじめを受けていた。
そのため、A子さんは朝お風呂に入るなど、自分でできる対応策をしていたのであり、それに伴い長かった髪の毛を切るという手段までしたのである。長い髪は乾かすのにも、(髪を濡らさず)お風呂に入る場合も短髪に比べて手間がかかるものだ。
学校の指導記録には下記のような発言があった。
「人種によって臭いが違う」「A子さんはハーフだから、もしかしたらそういうこともあるのかもしれない」「外国の方は、いい匂いだと思って香水をつけたりしているけれども、それは人によって感じ方が違う。だから、A子さんも気にしているかもしれないから、そういうことを言ってはいけないよ」「A子さんがキレイにしていても、少し匂いがすることもあるんだよ」と指導した。
これは、A子さんの隣の生徒がわざと「マスク」をつけたり、席を離すなどの行為をしたり、いじめの主犯格の生徒が「A子さんって臭いよね?」と周りの生徒に同意をとって孤立させたことに対しての指導である。
つまり、「A子さんは臭い」を前提にして指導は行われていたことを意味するのだ。
教員からすれば、中学生にわかるように例え話を出したのかもしれないが、そもそもが臭い前提であったのだから、その指導ではA子さん本人に「臭い認定」を出したとも言えるのである。
こうした不適切な指導があったからこそ、不要にA子さん本人が朝風呂に入るなどの対応策をしなければならなくなったのだろう。
当事務所のある世田谷用賀はいくつかの学校があり、その中にはインターナショナルスクールがある。用賀周辺は、外国人親子を見ることは珍しくもない光景だ。私がよく行くコンビニは、多くは英会話が話されている。その実、私は犬並みと言われるほど匂いに敏感であり、事務所に誰が入ってきたか匂いでわかるし、タバコの種類すら大まかに匂いで嗅ぎ分けられる。犬並みと言われたのは行方不明者を遺体で発見した際にそれを数百メートル離れた雑木林でわかったということからなのだが、その私を持ってしても、外国人を臭いと思ったことはない。ただ、独特の体臭があるということはわかる。ただ、それでマスクをするかといえば、それは過剰であろう。
つまり、この体臭いじめは、教員がどう思っているかが指導の根底にあり、それが差別的にスタートしていたから、指導する方向を誤ったのであり、少なからず不適切指導にあたる大きなミスがあったのだ。さらに言えば、これは「人種差別」の一種であって、絶対にあってはならないことなのだ。
もしも、これを人種差別だ、絶対にやってはならないしその根すら根絶しなければならないという指導を元生徒らが受けていないのであれば、それは残酷な結果をもたらすだろう。
髪切り事件
髪切り事件が起きる前までは、A子さんは普通に登校していた、この事件以降、学校に行けなくなってしまったのだ。それだけショックが大きかった事件だと言える。
学校側の説明と本人被害者家族の経緯の食い違い
学校側の説明によれば、A子さんが保護者に前日髪を切ってもらい、A子さんからの申し出で「母親からあとは先生に揃えてもらいなさい」と言われたから切ったとされている。
ところが、被害保護者はそのようなことは一切言っていないと首を傾げる。A子さん本人もそのような申し出はしていないと言うのだ。
さらに学校側は「保護者に確認を取らなかったのは申し訳ない、落ち度であった」と謝罪している。つまりは、髪を切る際に、保護者へは連絡すらしていなかったのだ。
一般的な指導や教員の行為から考察すると、仮に生徒からの申し出あったとして髪を切るだろうか検討してみよう。答えは「あり得ない」だ。友人の教員10人に、仮にの話で切るかどうか質問をしてみたが、「絶対に切らない」がその答えであった。
都内の公立中学で教員をしている友人によれば、すぐに保護者に電話をして断るとのことであったし、美容院に行くように勧めると話していた。
続けて、彼はこうも言った。「苦しい言い訳としか思えない」。
読者の方はどうだろう。
私が教員の立場であって、もしもこの事情の中で女子生徒が腰まであろう長い髪を肩口あたりまで切ってきたりしたら、その時点で泣いてしまうし、許されるなら、表参道あたりの美容院に連れて行き、自腹で払って「カッコ可愛い頭にしてください!!」って頼んでしまうかもしれない。
この髪切りにはさらに続きがある。
この髪切り事件直後、A子さんはスクールバスに乗っている。その中には同校に通う生徒らがいるわけであるが、誰もがそのA子さんの頭髪を変だと思ったのだ。
それは、左右がバラバラで揃っておらず、あからさまにおかしかったからだとの証言はいくつも記録されている。
実際に髪を切ったB教諭は、自信を持って「左右は慎重に切り揃えたはず」と言うのだが、どこに自信を持つのも勝手だが、結果然り、何が重要かも彼女の頭の中では整っていないのだろう。
ストーリーとして整理すると
私の手元には、当時の学校の記録や被害保護者と学校とのやりとり、録音、新聞記事や一部記者による所見など様々な資料がある。
そこから私なりにまとめてみると、推測にしかならないが、当時の様子はこうだろう。
まず、A子さんは体臭いじめを受けていて、それに伴う流れで、髪の毛を切ったらどうかと教員に勧められていた。そこで、意を決し、A子さんは母親に髪を切ってと頼んだ。そこで母親はその頼みに応じて、慎重に髪の毛を切った。
その仕上がりは問題はなかったが、髪を切ることを勧めていたB教諭らからすれば、生徒が思い通りになったことに気を良くした。そこで、もう少し切り揃えてあげるとA子さんに声をかけた。
(この辺りの記録にはB教諭は髪を切るのに慣れており、切っている際に他の教員らが「よっカリスマ美容師!」などと囃し立てていたとされている)鏡がないので、スマホのインカメラを利用した。
こうした流れであったから、教員らは誰もA子さんの保護者に髪を切るということへの確認を取らなかったのだ。
ところが、B教諭はうまく切りそろえることなどできずに、おかしな頭髪になってしまった。言い訳のつかない事態であるが、スクールバスでの下校時間になってしまったので、慌てて、バスに押し込んだ。
A子さんはB教諭を学校で最も信頼していたから、受けたショックはさらに大きいものになってしまった。
さすが山梨県!やはり委員は黒塗り
ここまでの流れで、多くの人はこれを学校事故とは思えないだろう。髪を切る行為自体、故意のことであるし、A子さんに落ち度はないのだから学校指導の一環で起きた事とは言い難い。
ところが、学校側の言い分からすれば、「生徒の申し出に応じて」だから、事故とも言えるのかもしれない。
何にしても、「山梨市立学校における学校事故詳細調査員会」なるものが調査に当たっているとされている。被害保護者に聞いたところ、調査は非公開であり、当事者に当たるA子さんについてもその保護者についても委員が誰で、いつ会議をしているか、何をしているかなども教えられていない。つまりは、オバケのような委員会である。
教育委員会はダンマリだが
教育委員会事務局サイドに接触を取ろうとしたが、基本的に取材はNGとのことだが、資料を読み込めば、山梨市教育委員会が何を問題視していたが透けて見える。
1.物言う女が嫌い
当時の教育長らによれば、髪切り事件発生で不登校となった事件は山梨県内ではニュースとなった。これによって重い腰が少しだけ浮くのだが、至極当然に対応を申し出ているA子さんの母親に対し、「教えを乞う」態度ではないし、言うことが「都合が悪い」から「モンスターペアレント」であると事実認定をしている。
つまり、物事をしっかり話し、主張すべき主張をする母親はモンスターということだ。当時の録音など聞いていると、女性蔑視とも取れる対応が容易に想像できる。
2.あからさまな差別
A子さんは父親が外国人であるが、そうしたことを差別視しており、「地域との繋がりが薄い」から「いじめが起きるのだ」「髪を切られるのだ」という議題が教育委員会会議録に存在している。
これは髪切り事件が山日新聞や読売新聞の報道されたことを受けてされた会議の中で話されており、要約する限り、「報道自体は母親がリークしたに違いない(実は教育委員会内部からの情報)、あんなに止めたのに、なんてことだ!こんなことになったのは、あの親子は地域との繋がりが薄いから、報道されることが『山梨県の恥』になることがわからないんだ!」ということが話されていた。
ところが、事実として、A子さん親子に関しては、地元のNPOや社会福祉関係の団体など複数の市民団体が支援をしており、2019年1月8日の刑事告訴についても市民団体などの支援があったのだ。
つまりは、実際はA子さんらは加害者側の地元民は除いて、それ以外の地元とはしっかりとした繋がりがあり、特に行政サービスの大きな穴を担う市民団体からは協力支援を受けていたのであり、「地域との繋がりが薄い」というのは、当時の教育長をはじめとした教育委員会サイドの勝手な思い込みであるということがわかる。それを一般的に「差別」と呼ぶ。
意識は改革しない、もはや解体と再構成が必要
この事件は実際に起きた日本の事件である。差別的いじめが放置放任され、その上でなぜか被害者の髪を誰もが笑うレベルに切るという滅茶苦茶な事件があり、さすがにやばいと思った学校長を含め市教委の教育長ら幹部が、必死に蓋をして隠そうとしたものだ。
その中には外国人蔑視や差別、何か主張すればモンスターだというとんでもない意識が背景にある。
こんなやつらに日本の教育を委ねていいのだろうか、答えは否しかないだろう。
よく何か事件が発覚すると、再発防止のために意識を変えるよう努めるというが、はっきり言う。「意識改革など絶対にできないし、意識を変えるだけなど不合理」だ。それ以前に、仕組みや構成を変えなければ、何も変わることはない。
もはや、一旦解体。その上で教育組織がどうしても必要ならば、人を変え再構成する方がいいだろう。
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