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「バイト炎上動画」問題で露呈した、外食大手チェーン店の脆弱性

今現在もメディアで連日報じられる、飲食店やコンビニにおけるアルバイト店員らによる「問題動画」騒動。その問題の本質はどこにあるのでしょうか。米国在住の作家・冷泉彰彦さんが自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で、前回の「バイト炎上動画で『人生終了』に違和感。本当に悪いのは誰か?」に引き続き当問題を追求・考察しています。

チェーン外食の脆弱性、バカッター問題の核心

回転すしにコンビニと、いわゆる「バカッター」事件が続いたと思ったら、今週は定食ファミレス業態でも発生するなど、止まらない気配があります。もっとも、報じられても「不適切動画」の撮影を行う若者がドンドン登場しているのではなく、必死になってネットをパトロールしている人が以前のネタを摘発し続けているというのが真相なのでしょうが、いずれにしても困ったことです。

この「バカッター」事件ですが、基本的には食品の取り扱いに関して、不衛生な行為が行われているか、行われていそうだというイメージの動画が発端になります。それも、ズボンを脱いでお盆で前を隠したとか、おでんのシラタキを口にくわえてふざけたといった、見方によっては罪のないものが問題になるわけです。

こうした事件は、「ツバのついた食品を売ってしまった」とか「汚い状態で刺身を切って寿司として提供してしまった」という具体的な不衛生行為ではありません。そうではなくて、不衛生なことに通じるようなイメージを喚起するということで、摘発者は必死に取り上げ、実際に自分の会社のチェーンだということを突きつけられた本部は狼狽し、上場企業の場合には株主がその株を売って株価を下落させるわけです。

では、どうして「不衛生なこと」に通じるイメージ喚起だけで、そこまで大騒ぎになるのでしょうか?

消費者が「神経質なので」不衛生なことに関係する動画を見たら、猛烈にイヤな感じがして、実際に客足が遠ざかる…のではないと思います

確かに消費者は嫌悪感や不安を覚えるかもしれず、多少の業績への影響はあるかもしれません。ですが、実際に不衛生な行為が起きているかは疑わしいのに、消費者が嫌悪を感じるのは、消費者が「神経質」だからではありません。

ここに「バカッター」問題の本質があると思うのですが、それは本来なら「店構え」「評判」「板前の態度」「調理師免許状の掲示」「店内の清潔度」「お客の様子」などで判断すべき「この店は大丈夫という判断を消費者はできなくなっているからです。

どうして判断ができなくなっているのかというと、それは消費者がバカになっているからではありません。デフレ経済の中で、例えば寿司店の場合、回らないカテゴリの店で、「評判」や「板前の態度」などで「安全度」を図ることのできる店というのは、一般庶民には手が届かなくなっています。

そうではなくて、安くて手の届く外食というのは、ほとんど100%が大企業が回しているチェーン店になってしまうからです。チェーン店の場合は、板前の態度を見ようと思っても、例えば多くの回る寿司店では、寿司というのは裏の厨房でバイトや機械が握っています。板さんが握る部分もありますが、その場合はパフォーマンスを見せたり、板さんが営業したりする効果が計算されているわけで、100%板前が握っているなどというのは、廉価なチェーン店の場合はありません。

ですから、お客には「この店は清潔か?安心か?」ということが判断できないのです。調理のプロセスは、裏の厨房に隠されていたり、あるいはファミレスの場合は巨大なセントラルキッチン、コンビニの場合は郊外の大規模な下請け先の弁当工場などで作られているわけですから、いちいち判断はできません

では、消費者はどうやって食の安全を確認するのかというと、とにかく目をつむってブランドを信用するしかないわけです。有名な大企業がやっているチェーンだから、コンビニだからというブランドを頼りに「有名ブランドなら大丈夫だろう」という信頼をする「しか」ないのです。

ここに問題の核心があります。つまり、イメージとして企業の側も、消費者の側も「有名ブランドイコール安全と安心」という神話を信じており、またその維持に必死になるわけです。

本当に不衛生な行為が起きたかは怪しいのに、「不衛生行為を連想させる動画」だけで大騒ぎになるのは、この「安全と安心をブランドに丸投げしている構造があるからです。反対に、ブランドのイメージが傷つくと、今回の一連の事件のように騒ぎになるわけです。

では、大企業だから本当に安全を確保しているのかというと、それは確かにマニュアルは整備されているでしょうし、什器なども大量発注して高性能なものを使ってはいるでしょう。ですが、個人経営の寿司店などとは違って、訓練された板前が全部の寿司を握っているわけではありませんから、安全度というのは高度な感覚を持った現場の力で確保されているというよりも、マニュアルや機械で確保するということになっているわけです。

というのはどういうことかというと、食の安全の確保というのは、マニュアルを整備したり、そのマニュアルを守らせるために警察のパトロールのような権力行使をしたり、あるいは高性能な什器を安くまとめ買いするための交渉をしたりといった、本部の努力で実現するという経営思想があるからです。

個人経営の寿司店の場合は、食の安全を守るのは板前です。鮮度の高いネタを仕入れ、きちんと温度管理をして冷蔵し、正しい調理法で寿司を提供する、それには大変な努力が必要です。ノウハウも必要ですし、何よりも商売の姿勢として覚悟が必要です。ですが、その分だけ、収入という面でもちゃんと見返りがあります。また、お客からの親愛や尊敬も得られます。成功すれば、弟子を育てて支店を出させたり、暖簾分けして、事業を拡大することもできます。

一方で、チェーンの場合は、現場は最低賃金ギリギリのバイトで回すことになります。ですから、バイトには自発的なモラルや、自発的な労働の喜び、あるいは名前や顔のある形での消費者からの尊敬や親しみということはありません。反対に、マニュアルを守らせるための「上から目線の研修」や、警察のような本部の監視があるだけです。

残念ながら、今回の事件で問題を起こしたチェーンでは、そのような監視や研修は、以前よりも更にエスカレートするに違いありません。とにかく、実体のないブランドの価値を膨張させ、そのイメージが信頼感の源泉だし、イメージを失えば全てを失うという経営構造は、それ自体が脆弱性だと思います。その結果として、現場には自発的なモラルを生じにくい構造が生まれてしまいますし、馬鹿げた幼稚な行為で壊れてしまうわけです。

見方を変えれば、生鮮品の調理という労働から喜びや付加価値を奪っているわけですが、消費者に対する安全性の保証はナショナルブランドの知名度でカバーさせているわけです。その構造全体には大きな無理があると思います。

今回の一連の事件は、その脆弱性を見事に見せつけたと思います。とにかく、居酒屋にしても、寿司にしても、あるいはファミレスにしてもチェーン化・企業化が進み過ぎています。そして大量生産、大量出店による薄利多売の構造がこれに加わり、内部でのコストカットも進んでいます。

つまり、ビジネスとして極めて脆弱になっているのです。外食における血の通った個人経営が大きなマージンを享受し、使用人も暖簾分けでオーナーになれるというキャリアパスを示せるような、ある意味では昭和の時代の制度に戻すべきです。

image by: Fotos593 / Shutterstock.com

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東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは第1~第4火曜日配信。

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