その未来に向かっている姿の1つが気仙沼線沿いの気仙沼市本吉地区の知的障がい者の母親のグループ「本吉絆つながりたい」である。
前回のコラムでも紹介したように、現在の母親たちの夢は「子どもたちと一緒に暮らせるグループホームの建設」だ。この気仙沼線写真展の会場にもこの夢を支援するための募金箱を設置している。募金箱の横には、気仙沼線のポストカード三種類を用意し、無料で進呈しているので、是非持ち帰って、写真で気仙沼線にふれ、震災を感じてほしい。
写真展開催中には、歌曲「気仙沼線」を歌っている元関取で歌手の大至さんが自ら作るちゃんこ鍋を食べながら、大至さんの歌を聴く企画もある。私も毎年、その際に来場者とお話させていただいている。毎年、震災のことを考え、しっとりとなる場面もあるが、今年は桜に囲まれながら、未来に向かっての話をしようと考えている。
それでも心中疼くのがこの時期だ。多くの命があっという間に亡くなったのは変わりない。歌曲「気仙沼線」の歌詞の中では、真横を気仙沼線が走っていた気仙沼市の大谷海岸海水浴場で遊ぶ子供がいなくなった風景を書いた。
今、大谷海岸駅はプラットホームと鉄路が一緒に残っている数少ない場所の1つとなっている。海水浴場には黒い袋詰めの土嚢が砂浜を埋め、遊ぶ子供はいない。プラットホームには震災後早くから献花台が設けられ、木彫りの仏像が雨風に打たれながら、手を合わせる人を迎えている。大谷海岸に来る度に、この仏像を拝観しているが、風雨に打たれた年月のせいか、何となく表情が穏やかになっているのは気のせいだろうか。
気仙沼線写真展では、その仏像の写真が出迎えることになっている。この写真でも震災を感じてほしい。
image by: ChiefHira [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons