先日掲載の「勉強しなさいと言われて育った子は、人の顔色をうかがう子になる」で、「勉強しなさいは禁句」と記した現役教師の松尾英明さん。では、具体的にどうすれば子供を勉強好きにさせることができるのでしょうか。松尾さんは今回、自身の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』で、その答えを明かしています。
勉強を好きな子どもはどう育つか
「勉強しなさいと言われて育った子は、人の顔色をうかがう子になる」の続き。勉強が好きな子どもに育つにはどうするか。「勉強しなさい」が最悪であることは述べた。
では、具体的にどうするのか。環境を整えることである。それは、分厚い数十冊の図鑑や、高価な実験器具を与えるとかいうことではない。もっと自然なことである。
本人が好きなことを徹底的にさせる。これに尽きるのではないかと思っている。
これは、多くの大人にとっては非常に怖いことである。なぜなら、大人は「自分の好きなことをする」=「わがまま」「悪いこと」とみなしているからである。つまり、好きなばかりをやっていると、子どもが自堕落でダメになるのではないかと危惧するからである。「好きなことばっかりやってたらダメ」という言葉に集約される。
全てのことは、勉強できるのだから、「好きなことを勉強できる」=「勉強が好き」になるのは至極当然である。逆もまた鉄板法則なのだが、そっちを進んでとっている結果、勉強嫌いの子どもが世に溢れているように思われる。
大人ができるのは、そのための、環境づくり。好きなことを発見できる、触れさせる機会の提供ぐらいしかできない。
これには、色々試すしかない。どこかに連れ出したり、何かに触れさせたりする機会を多く設けるしかない。子どもによって、ヒットするポイントが全く違う。
そこで次が「超」重要ポイントにして、ほとんどの悩みの根本的原因である。それは「親の願うこと」と、「子どものヒットポイント・長所」が、ほぼ確実に一致しないということである。この事実を受け容れないと、親子双方不幸になる。
食べ物の好みと同じで、自分の好むものを子どもが好むように仕向けることはできない。嗜好性というのは、極めて個人的なものであり、規制やコントロールは不可能である(これは、性の多様性の問題にもつながる。許容できない人には、どうしても許容できないようである)。
「それもいいね・素敵だね」と言えるかどうか。ここがポイントである。
保護者と長年面談をしていて、気付くことがある。どうも、読書というと小難しい文学作品を読ませたがる。本人の苦手な運動をさせたがり、スポーツの得意な○○さんみたいにさせたがる。漫画もゲームも「ダメ」なものの部類。(またはスマホノベル等にも否定的。)勉強ができれば安心、やがて「いい大学」「いい職場」にいけば安心と思っている。友達のグループに入っていれば安心と思っている。とにかく、自分の人生を基盤にした既成概念に凝り固まってしまうのである(教師も同様である)。
例えば大人から見たらゴミにしか見えないものも、子どもにとっては宝物である。拾った「きれいな」石、形の変わった石が机の引き出しに溢れているのも、ある意味健全である。それよりも、それを隠さないといけない状況を打破すべきである。
「隠す」ということは、それを周りが駄目とみなしている、そう認識しているからである。周りが「それもいいね」と言ってくれれば、安心して自分らしくいられるのである。
子どもの興味のあることを、否定しない。大人の「善」「こうあるべき」を押し付けない。
これなくして、勉強が好きという子どもは育たないと考える次第である。
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