勉強しなさいと言われて育った子は、人の顔色をうかがう子になる

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子育ての現場でも信頼が置かれている、アドラーの教育法。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では、著者で現役教師でもある松尾英明さんがアドラーの子育て法を絶賛しつつ、子供の可能性を狭める可能性のある「声掛け」について考察しています。

「勉強しなさい」と決して言わない

次の本を紹介する。

子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気』岸見一郎 著/幻冬舎

『嫌われる勇気』の著者といえばわかる人が多いかもしれない。子育ての本であるが、職場を含めた人間関係全般に広く使える本である。特に、社員や部下の育成が必要な経営者や上司の立場にある方には、ためになる内容である。この中の一文を引用する。

「あなたのためにいっている」というようなことを親はいったりしますが、多くの場合、愛情という名に隠された支配でしかありません。

この一文だけでも、強烈である。「愛情という名に隠された支配」。

これは、教師にも当てはまる。「子どものためという言葉があらゆることの免罪符になっていないか。「あなたのため」という言葉を使って、行動を支配しようとしていないか。

そして「愛情という名の支配」が成功した結果、親はずっと面倒を見るはめになる支配されている以上自分で決められないからである。「親はどう思うか」という顔色をうかがうことが行動の価値判断基準になるからである。「主体的」「自立」とは真逆の方向に育つ。

例えば、漢字練習を全くやらない子どもがいるとする。どうするか。多くの心ある親や教師は、「やりなさい」という。しかし、アドラー心理学の立場では、ほとんどの場合、これは間違った行動に分類される。なぜならば、それは「子どもの課題だからである。

大人は、自分の課題に首を突っ込んで欲しくない。例えば家庭のことに、職場の上司からあれこれ指示を出されたらどうか。あなたの身体の問題に、あれこれ言われたらどう思うか。あるいは、あなたは問題があるから〇〇の勉強をしなさいと言われて、やる気が起きるか。

成人した人であっても、親に首をつっこまれることは多い。例えば親から自分の結婚しようとする相手に対し、「この人はいい」「この人はダメ」とあれこれジャッジされたらどうか。友人の方がまだ的確な見方をするかもしれないが、これも「参考」程度にすべきである。そして、周りの指示に従って結婚した相手との生活が最悪だったらどう思うのか。「私はこういったのに」と、恨みがましいことを言い出す可能性もある。

どれも、自分の課題に他人が首を突っ込んで、それを受け入れ、託してしまった結果である。

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