勉強しなさいと言われて育った子は、人の顔色をうかがう子になる

 

先の漢字の話に戻ると、勉強とは明確に子ども自身の課題である。断じて、親の課題ではない。もしそれも親の課題だとかいうなら、将来的に子どもを支配しようとしている可能性がある。そして、一生勉強で面倒を見る覚悟がいる。勉強は、学生時代だけでなく、死ぬまで一生続くものである。

この本の中では、このことについてさらに強く警告している。勉強を親の課題にすり替えることで、子どもがより勉強しなくなるというのである。つまり、口出しすることで、子どもにとって「勉強ができない」=「親が悪い」or「教え方が悪い」という、他人の課題になる。そして、より勉強しなくなるという悪循環に陥る。なぜか。

「勉強しない」ということで、「可能性の中で生きることができるからだという。この場合「あなたはやればできるのに」は、負の行動強化の言葉がけになる。子どもは「やってもできない可能性を潰す方向に行く。つまり、勉強をずっとやらなければ、できない自分が証明されないのである。行動しない方が「安全・安心」が保証される訳である。

失敗を恐れて行動しない、ということにもつながる。失敗しない人間より、試行錯誤する人間になる方が大切である。そこを学ぶには、自分でチャレンジするしかない。何でも周りのせいにする人間では、どうにもしようがない。

他人の課題に首を突っ込まない。親は「勉強しなさい」と一切言わない。

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