スターリンがヒトラーと組んだ理由
では、スターリンは、なぜヒトラーと組んだのでしょうか?
「ドイツがイギリス、フランスと戦ってくれれば、ドイツ、イギリス、フランスがみんな疲弊する。ソ連は漁夫の利を得て、欧州をすべて共産化できるチャンスがめぐってくるかもしれない」と戦略的に考えた。実際、ソ連は、東欧を共産化することに成功しました。
ところが、1940年に入るとソ連とドイツの仲が悪くなってきた。ルーマニア問題、フィンランド問題でもめたのです。それで、スターリンはどうしたか?なんと、1941年4月、日本と中立条約を結ぶことにした。
なぜ日本は、これを望んだのでしょうか?1941年といえば、12月に日米戦争がはじまっています。当時、日本最大の問題は、アメリカでした。日本は、ドイツ、イタリアとの同盟にソ連を加え、「4大国でアメリカをけん制しよう」と考えていた。それで、日ソ中立条約となった。
スターリンは、どう読んだのでしょうか?
「ドイツが近々ソ連を攻めてくる。西からドイツが攻め、東から日本が攻めてきたらたまらんな。だから日本ととりあえず和解しておこう」と。こう、「戦略的」「現実主義的」に考えたのです。おかげで、東にいた戦力を西に戻し、ドイツとの戦いにふりむけることができた。
1941年6月、ドイツがソ連を攻撃し、独ソ戦がはじまりました。1941年12月、日米戦争がはじまりました。ヒトラーはアメリカに宣戦布告し、米独戦もはじまった。ヒトラーは、スターリンとは違い、物事を戦略的に考えることができなかった。それで、愚かにもアメリカ、イギリス、ソ連3大国を敵にした。アメリカが参戦した1941年12月時点で、ドイツの負けはきまったのです。
1945年2月、ヤルタ会談が開かれた。ここで、戦後の秩序について話し合われました。国際連合創設や、「拒否権をもつ安保理常任理事国」のことも決まった。
スターリンは、「ドイツ降伏後3か月以内に、対日戦に参戦する」と約束しました。そう、彼は、「日ソ中立条約を破りますよ」と確約したのです。これは、「善悪論」でいえば、どう考えても「悪」でしょう。しかし、「勝敗論」でいえばどうでしょうか?
スターリンは、戦争最末期(1945年8月)に参戦し、樺太と千島を奪った。「極限まで楽して、最大の戦果をあげた」といえるでしょう。繰り返しますが、道徳論、善悪論でいえば、ソ連の行いは絶対悪です。
というわけで、スターリンは、まずヒトラーと組み、その後日本と和解し、最後に米英と組んだ。この、日本人的感覚では「節操ゼロ」の行動により、ソ連は勝者になったのです。もちろん、1991年末にソ連は崩壊したわけですが、それとスターリンは関係ありません。