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『ルパン三世』が教えてくれた、今の日本が忘れてしまったもの

モンキー・パンチさんの訃報に寄せて、『ルパン三世』への思いを綴るのは、メルマガ『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』を発行する米国の邦字紙『NEW YORK ビズ!』CEOの高橋さん。最近鑑賞した『STAND BY MEドラえもん』への疑問とともに、高橋さんが『ルパン三世』を筆頭に、70~80年代アニメから教えられ、受けた影響について熱く語っています。

大切なことは『ルパン三世』が教えてくれた

先月11日、漫画家のモンキー・パンチさんがご逝去されました。今の日本の成人で『ルパン三世』を知らない人はいないだろうし、僕(45歳)たちの世代で『ルパン三世』に影響を受けていない男は皆無ではないでしょうか。そんなことはねえか。

同世代の男子同様、生まれて初めて僕が「エロ」を感じた対象は、間違いなく「不二子ちゃん」でした。当時、小学校低学年の僕は、峰不二子がテレビ画面に登場するだけで、なにか、見ちゃいけないものを見てるような、ドキドキする罪悪感に似た感情をコントロールするのに苦労しました。我ながら、変態か。他の子供向けアニメとは違う、大人の匂いを子供ながらに感じたのだと思います。

今回の訃報を聞いて、最初に思ったことは、今の子供たちに『ルパン三世』のような立ち位置のテレビ番組が存在するのだろうか、という心配。アダルティックな匂いのする、スタイリッシュ(死語)で、ダンディー(死語)で、危険な空気の大人が主役のアニメ。

ヒロインは、やたらボディーラインを強調する服を着て、お金大好き、金のためなら毎週相手を変える大人の女。そして、パートナーは、ハットを目深にかぶり、目すら見せてくれないヘビースモーカーのガンマンと、子供には想像し得ないディープな哀愁を刹那的にまで背負っている剣豪のふたり。そして、ライバルは、毎週、結果は失敗に終わるものの、実直なまでにひとりの泥棒(主役)を追いかけ続けるダミ声の警部。ハードボイルドを絵に描いたような登場人物たちが描く「大人チック」な世界を毎週(確か月曜日に)見せられてきました。小学生のこっちがついていけてるかどうかもお構いなしのスタンスで。

あんまり「昔はよかった」的な話は、年をとったみたいで、したくはないのですが(なにより、アニメだけじゃなく、世の中のあらゆるもの、すべてのシーンで「昔はよかった」なんてことは絶対にないと思ってるし)、ただ、「みんないいやつ!みんな仲間だ!」が主流の今のアニメとは、明らかに毛色が違っていたように思えます。それが、いいか悪いかは別として。

ここで大切なのは、「大人チック」だということ。モロ「大人の世界」じゃない。いまどき小学生でもどギツいエロ動画をネットで簡単に見ている、と聞きます。どんなに規制があっても、簡単にクリアしてアクセスしているそうです。「大人チックな世界」と「大人の世界」は全然、違う。程度の違いじゃなく、まったく別物です。

無修正の動画を無料でいっくらでもアクセスできる現代より、2Dの、アニメの、画素数の荒いブラウン管の、不二子ちゃんの衣服の上からの乳首のぽっちでコーフンできていた当時でよかったと本気で思います。そっちの方が、妄想も含め、ずっと「大人の世界」を神秘的なものとして捉えることができた。もっと言うなら「大人」になるのが、楽しみにもしてくれた。だって、大人になったら、リアルな世界の不二子ちゃんに会うことができると思っていたから。

「大人チックな世界」を垣間見せられたことにより、「大人の世界」が実物以上にカッコよく思えた。友情のなんたるかは、ピンチに当たり前のように助けに来てくれる次元大介が体現してくれた。エロスのなんたるかは、タッチの荒い2D峰不二子が教示してくれた。ネットのリアル動画に見慣れた小学生は、何を楽しみに大人になるのだろう。答えを知ってるパズルを、答え合わせ通りに解くのだろうか。

ルパンのようなキャラクターは、今はもうアニメ界にいない、と書くと「いや、今のアニメでもアウトローなキャラの主役はいる!」と反論されるかもしれません。いや、アウトローという意味じゃなく(というか、今のアニメの主役はアウトローキャラしかいないじゃん・笑)もっと、下世話で、女好きで、でも、おしゃれで、ちょいワルな、親族の叔父さんにいそうな存在。やっぱり、なかなかいないと思います。「ルパン」とともに幼少期を過ごせて幸せだったのだと思います(でも、実は、今でも再放送していて、今の子供たちも見てんだよね・笑)。

ここまで個人的な感情で書いちゃいましたが、ここからがいちばん言いたいこと。僕たちの親の世代は、60年代から70年代初頭にかけてのハリウッド映画や、時代劇で、人生の機微や、男の生き様を教えてもらった、とよく聞きます。そんな世界をそのままわかりやすく見せてくれたのが、70~80年代のアニメだったのではないかと思うのです。前述の『ルパン三世』然り。

先日、数年前に日本で大ヒットした『STAND BY ME ドラえもん』をブルーレイで鑑賞しました。全編3D、主題歌も大ヒット、日本アカデミー賞まで受賞した「涙の感動巨編」です。日本でも、劇場から出てきた観客を捕まえて「ことし一番泣きました」とか、「忘れていたものを取り戻せました」とか、カメラに言わせているCMも目にしたことがあります。

実際に鑑賞してみると、なるほど、とても耳障りのいい歌とともに、ドラえもんとのび太の友情が丁寧に描かれていて、泣きそうになるのもわかります。とてもいい映画、だと。でも、正直に言うと、僕はあ然としていました。文句のつけようのない「感動巨編」に。

「STAND BY ME」というタイトル通り、最後の最後まで、ふたりは仲良し。「ドラえもーん、どこにも行かないで」「のび太くぅーん、ずっとそばにいるよ」。仲良しなのはいいことだ。ずっとずっと一緒に寄り添ってね。そう思わないでもない。

でも、次の瞬間、ふと思ってしまったのです。優しいタッチの絵にも、感動的な歌にも申し訳ないけど。……じゃあ、のび太は、いつ、戦うの? いつ、自分の両足で立つの?と。

『ルパン三世』同様、僕たちの世代は『ドラえもん』のファンでもあります。原作のドラえもんは、果たしてどうだったのか。藤子・F・不二雄先生の描いた物語は、ただの未来の世界のネコ型ロボットが活躍するSF世界にとどまりません。

ドラえもんの原作ベースは、基本次のようなストーリー展開です。のび太がジャイアンや、スネ夫にいぢめられる。ドラえも~ん、タスケテーと泣きつく。しょうがないなぁとポケットから便利な道具を出す。その道具でピンチを乗り切ったのび太は、調子に乗って悪用する。しずかちゃんのシャワーシーンをのぞいて、ビンタされたり。人気者になるアイテムで、街中の野良猫が寄ってきて収集つかなくなったり。痛い目にあって笑わせてくれるラスト。

僕が記憶に残っているエピソードは、うろ覚えで申し訳ないのですが、夏休みの読書感想文の宿題をするのが面倒くさくて、ドラえもんのひみつ道具で乗り切ろうとします。道具の正式名称も忘れてしまいましたが、本を人の頭にかぶせるとその人が朗読してくれる。本を読む面倒臭さから、解放されて、聞き流すだけでいい道具。のび太はデキスギくんにかぶせて、「15少年漂流記」を朗読させます。

聞いているうちに、物語に引き込まれていく。そろそろ夕飯の時間で話の途中で帰宅するデキスギくん。原作のラスト1コマは、ママが「そろそろ寝なさーい!」と怒る中、実際の本のページをめくり、続きを読もうとするのび太の後ろ姿でした。実際の読書の面白さに気づいたのび太は、もうページをめくる手が止まらない

そう、『ドラえもん』って実は、野比のび太という一人の男の成長物語だったんです、僕はそう見ています。実際、伝説の最終回は、動かなくなったドラえもんを自分が修理すると、ロボット工学を極めるのび太の姿が描かれています。「今度は自分が助ける番だ」と(この最終回は、諸説色々あるみたいですが)。

最後の最後まで、寄り添って「どこにも行かないよ~」と慰めあってるだけの『ドラえもん』で、本当にいいのか。そりゃあハッピーエンドで、感動的で、涙を誘うけど、でも、これで、これだけで、いいわけがない、と感じる自分もいます。原作の方で描かれた世界観を、小学校時代に叩き込まれた僕たちは。

『フランダースの犬』なんて、もっと強烈だ。ちょっと強烈すぎて、再放送中止にもなったみたいだけれど。だって、ラスト、死んじゃうんですよ、ネロ。おそらくパトラッシュも。悲しすぎて、ひきつけ起こすほど、泣いた記憶があります(あれはあれで、なんで、あんな拷問みたいなトラウマを小学生に刻みつけられる必要があるのかという疑問すら湧き上がってきます)。

でも、この歳になってわかります。「ネロは幸せだったのだ」と。ルーベンスの絵を一目でも見ようと、雪の中、教会にパトラッシュとたどり着いたネロに奇跡が起こります。風が吹いて、布で覆われた絵の全容が一瞬、姿を現します。文字通り、命がけで得た一瞬。永遠の幸福より価値のある一瞬。すべてを理解し、幸福に包まれた笑顔で、例の「パトラッシュ…、僕はもう眠くなってきたよ…」のセリフ。天使が上の方にネロとパトラッシュを運んでいきます。こっちは大号泣(なんで、こんなもの小学生に見せるんだよ)。

実際、アントワープのこの教会に10年ほど前に足を運んだことがありました。アントワープ聖母大聖堂の中央祭壇に飾られた、ルーベンスの絵画「キリストの降架」も見ました。「これが、ネロが命をかけて見たかった絵なんだ」と感慨に耽りました(お土産ショップでネロとパトラッシュのポストカードが売られていたのはちょっと気になったけど、、) 。息子が小学校に上がったら『フランダースの犬』を見せようと思っています(嫁には、「やめてよ!」と言われているけど)。痛みを伴う代わりに、男として大切な何かを教えてもらえるから。ラストシーン、息子が号泣しても、寄り添って、彼に言ってやるセリフもすでに決めてます。「男が決意したんだ、黙って見送ってやるしかないだろう」…と(娘にはそんな試練は課さないけど)。はしかや風疹みたいなもんで、男の子が、一回は通らなきゃいけない道だから。

そう。僕たちは、(少なくとも僕は)『ルパン三世』や『ドラえもん』、『フランダースの犬』で「大切なことは、寄り添うことだけじゃない」というハードボイルドな生き様を教えてもらった。それは「世の中、ハッピーエンドだけじゃない」という圧倒的なまでのノンフィクションと、そして「でも、それこそが、ハッピーエンドよりも大切な証明」なんだという掟みたいなものまで。いや、ほんとの話。

なんとなく。なんとなくですが。名前は伏せるにしても、今の日本の漫画を見ると(そこまで詳しいわけではないのですが)シニカルに構えるか、もしくはそれが主流になって、カウンターとして、みんなで一致団結、大円団。が多い気がします。80年代の『週刊少年ジャンプ』以降(やっぱり、昔はよかった的なおっさんの意見に聞こえるな、我ながら・笑)。

今回、モンキー・パンチ先生が逝かれたことで、自宅のブルーレイコレクションから『ルパン三世 カリオストロの城』を引っ張り出して、鑑賞しました。過去何度見たわからないほどですが、今回も改めて「こんな完璧な作品あるのか」と唸りました。僕にとってのスタジオジブリ作品では生涯の1位です。いや、邦画部門でも1位かもしれない。

多くの方がすでに観られている作品だと思うので、ストーリーは割愛しますが、注目すべきはやはり、そのラストシーン。カリオストロ王国の公女、クラリスは、「おじさま、連れて行って」とルパンの胸に顔を埋めます。泥棒稼業も今はできないけれど、そのうち覚えてみせるから、と。

そのクラリスを抱きしめようとして、葛藤しつつも、そっと肩を抱き「ダメだよ、(長い間、幽閉されていて)やっと明るいところに出てこられたんだ。泥棒なんて汚れちゃ」と、ニッコリ笑います。この葛藤している数秒も完璧な間です。でも、困った時は、おじさん、地球のどこにいても、すっ飛んでくるからなーと、去っていく。

追いかけてきた銭形の「ルパーン! とんでもないものを盗んで行きやがった」というセリフに「あの人は何も盗んでいません」とクラリス。「いえ、あなたの心です」。ここで音楽が挿入。クラリスが嬉しそうに「ハイ!」と答え、「逃がさんぞー」と日常のライフワークに戻る銭形の背中。「なんと気持ちのいい連中だろう」とクラリスお付きのおじいさん。こっちに笑顔で手を振る日本の警察連中。

次元の運転する車内で、遠い目をするルパン。「おまえ、残ってもいいんだぜ」と次元。その時、偽札の原版を持った不二子がバイクで並走。「あら、ふ~じこちゃぁん、仲良くしたいわ」といつものルパンに戻る。でも、よくよく考えたら、映画の冒頭で、国営カジノから盗んだ現金が、偽札と判明し、すべてを車から捨てるシーンがあります。つまり、不二子が原版を持っているとはいえ、ルパンがそれを本当に欲しいとは思えない。いつもの女好きの泥棒に戻ることで、クラリスへの想いを断ち切っている。感動話では終わらせない(未見の方は是非!)。

おそらく、僕たちの親の世代が「カサブランカ」など多くの60年代ハリウッド映画で、観てきたハードボイルドな空気が踏襲されている。男の生き様の教科書になっている。寄り添うことだけが愛じゃないと教えてくれている。やっぱり、こんなカッコいいラストシーンを僕は知らない。

あ。ここまで書いて。『カリオストロの城』ってモンキー・パンチっていうより、宮崎駿だった!

image by: (C)kyu3

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全米発刊邦字紙「NEWYORK BIZ」CEO 兼発行人。同時にプロインタビュアーとしてハリウッドスターをはじめ1000人のインタビュー記事を世に出す。メルマガでは毎週エキサイティングなNY生活やインタビューのウラ話などほかでは記事にできないイシューを届けてくれる。初の著書『武器は走りながら拾え!』が2019年11月11日に発売。

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