いかにプライドを捨てられるか
大人の友人関係を一番阻害する要素は「プライド」だとボクは思っています。相手と胸襟開いて話をするには、自分のプライドを捨ててしまうのが大事かなと思います。
プライドを持ってはならないという意味ではありません。関係をもっとよくしたいと思うとき、プライドは何も役に立たないというだけの話です。
「自分をよく見せたい」「もっと尊敬してもらいたい」という気持ちは、人間としては自然ではあります。ただ、友人関係という間柄においては、それは不要ではないかと考えています。むしろ「プライドに邪魔されることなく、自分のあるがままに振舞える関係」こそが友人関係において最も尊いものであると思います。
ボクも、大人の友人との会話の中では、自分の実績や立場に関する話をすることはありません。むしろ、子供のころ、若いころの失敗談や、今の自分のダメなところを言葉に出してしまうことの方が圧倒的に多いです。そうすることで、弱い自分を認めてもらえるという安心感が得られるからですね。
親しくさせてもらってる人たちは「この人、本当はえらいんだよなぁ」とか「ボクなんかにそんなあけっぴろげに話しちゃっていいのかなぁ」と思うことしばしばです。いかに遅刻癖があるかとか、書類仕事が苦手かとか、行政手続きが全然できないかとか、接待の最中に居眠りしたとか、そんな話ばかりしています。でも、それこそ友人同士の会話ですよね。
普段着ている鎧を脱ぎ去ることができる関係が、大人の友人関係なのかなと思います。
今、働いている人たちは、たいていの場合どこかで仕事をリタイアすることになります。リタイアしたとき、いつまでも過去の自分のプライドを引きずっていては、豊かな余生を過ごせにように思います。
これはあくまでもボクの予想でしかないのですが、過去のプライドに縛られている老人ほど、気の毒な存在はないのではないでしょうか。
過去の栄光や実績は、それはそれで自分で大切にすればいいでしょう。それより、生きている今をどうやって楽しむのか、そのためには「プライドをすてて気楽に暮らす」というのが大事になる気がしています。
本当に老人になって頭が固くなってしまう前に、プライドを捨てる練習、そして捨てたことによって開ける素敵な世界を体験しておきませんか?