そして、昭和60年改正時点の見込みとして将来は38%もの厚生年金保険料負担、国民年金は19,500円くらいの負担になるというものでしたが、この昭和60年改正で厚生年金水準や国民年金水準を大幅に引き下げる事により、将来の年金保険料の負担を大幅に引き下げたのです。
たとえば国民年金なら月単価2,000円だったものを1,250円まで引き下げ、25年加入(300ヵ月)したならば2,000円×300ヵ月=60万円(当時の年額)だったものを、20歳から60歳までの40年加入(480ヵ月)で、1,250円×480ヵ月=60万円というふうに年金額を大幅に引き下げました。今まで25年加入で貰えた年金額を40年加入しないと貰えない金額になった。
厚生年金も大幅に引き下げたんですが、厚生年金は内訳に対して説明が長くなるのでこの記事では割愛します。
※ 参考バックナンバー
● 昭和60年前後で厚生年金はどう内訳が変わったのかの記事等(2019年7月有料メルマガバックナンバー)
● 昭和60年改正で何をしたのか(2017年10月有料メルマガバックナンバー)
これにより、国民年金保険料ピークは19,500円から13,000円まで下がり、厚生年金保険料は38%から28.9%まで引き下がる見込みになりました。
当時はかなりの改正だったので、これで来る少子高齢化も乗り越えられると誰もが思ったんですが、少子高齢化のスピードの波にのまれてしまい、その後も数々の改正に追われた。ただ、年金の形としては非常に柔軟な形なので(国民年金の上に厚生年金が乗っかった形)、今も昭和60年改正で作られた形で支給が行われています。
さらに、当時は障害者への年金を大幅に引き上げたいという思いがあり(昭和56年の国際障害者年を契機に)、20歳前の年金に加入する前に障害を負った人にも20歳以降になれば給付の高い障害基礎年金を支給する事になりました。これは現在の20歳前障害基礎年金と呼ばれるもの。年金に加入しない20歳前に障害を負っても、少額の福祉的な年金しかなかったからですね。
あと、昭和61年3月までのサラリーマンや公務員の専業主婦は国民年金への加入は強制ではありませんでしたが、昭和61年4月からはその専業主婦も国民年金に強制加入させて、自己の名で将来は年金が受けれるようになりました(国民年金第三号被保険者の導入)。専業主婦も加入させないと、障害負った時に障害年金が出なかったり、離婚した場合に自分の年金が出ずに危険ですからね…^^;昭和60年改正は女性の年金権確立や、障害年金の大幅な改善も行われた改正だったのです。
ところでその大改正の前に昭和50年代の前には昭和30年から続いた、高度経済成長(平均で年間10%の経済成長が続いた時代を高度経済成長という)がありました。高度経済成長期は賃金も物価もひたすら右肩上がりの時代でしたが、昭和48年に第4次中東戦争による石油価格の急激な高騰で物価が40%も上がってしまい、昭和50年からは初の赤字国債が発行されるようになりました。歳入<歳出になってしまったから、税収だけでは予算が足りなくなった。そして上げすぎた社会保障が次第に財政を圧迫するようになってきた。
そこで、昭和50年代になると、それまでと一転して無駄の削減と抑制の方向になってきました。増税なき財政再建という言葉が始まったのはこの頃からであります。
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