学校は社会の縮図。「不登校」と「過労死」はこんな関係があった

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不登校の小中学生が急増しているという。文部科学省の調査では、平成29年度の不登校児童生徒数は14万4,031人で過去最多を記録。10年度から28年度にかけ、約12万~13万人で推移していたが、初めて14万人を超えたことになる。不登校の要因は、学校の人間関係や家庭の状況など複合的だと言われているが、身体的な症状が出るのは必ず何か原因があると、現役教師の松尾英明さんが無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』の中で指摘。さらに、一般社会において問題となっている過労死も不登校と関連が深いとして、その見解を述べている。

不登校と過労死

不登校と過労死の関連について。

以前から何度も書いているが、不登校は、確実に「問題」である。誰にとって。「学校」という存在にとってである。あるいは、そこを「問題」と思う教師や親という立場の人々にとってである。本人にとって問題かどうかは、本人次第というところである。

学校という存在が絶対的な善である、と言い切れるか。各子どもに完全なオーダーメイドができる仕組みがあるなら別だが、現状それは無理である。つまり、これは言い切れない。

子どもが朝、「吐き気」「頭痛」「腹痛」を訴える。学校を休むことにして、連絡した。すると、ぴたりと止まった。これは子どもの「気のせい」ではないし、親を騙そうと演技した訳でもない。行かなくてもいいから、危機を脱したということで、身体が苦痛反応を止めたのである。生来備わっている身体メッセージの機能が正常に働いている証拠である。

子どもは素直だから、生物としての直感的な反応がダイレクトに身体症状として出る。大人はこれを理性で抑え込んで無視し続けるため、再起不能に近くなるまで無理をする。過労死は、理性で身体のメッセージを無視し続けるからこそ起きる現象である。

子どもが「学校に行きたくない」と言ったり身体反応が出たら、理由が必ずある。「何となく」にも、探っていけば理由がある。

学校でいじめなどの心配事があるのかもしれないし、友人関係で悩んでいるのかもしれない。勉強がさっぱりわからないのかもしれない。学校のカリキュラム自体が本人に合っていないのかもしれない(勉強嫌いや競争嫌いなのに、バリバリの進学校に行くのは最も悲惨である)。

あるいは、母親ともっと一緒に過ごしたいのかもしれない。根源である愛情エネルギーが不足していれば、外の活動どころではない。

最も多いのが、単に「疲れてしまったからちょっと休みたいだけ」かもしれない。大人と同じである。

とにかく、何らかの原因があるはずである。単にちょっと疲れただけなら、一日二日休む内に、もう大丈夫と言い出すかもしれない。心配しすぎたり、行かないといけないと追い込みすぎたりすると、裏目に出て、逆の行動に出ることもある(「押すなよ、押すなよ」の原理である。ダメと言われるほどそちらに行く)。

要は、根本的な解決対策を取らないで無理をさせれば、より悪い結果を招く可能性が高い。だから、親は子どもがそういうことを言っても何とか登校した場合、学校に一報を入れた方がよい。教師の側も「何も問題ない」と思って見るのと、「何かあるらしい」と思って見るのでは、見えるものが違う。

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