被害者が自殺を選ぶまでに追い詰められるなど、全国で深刻さが増すいじめ問題。その中でもかなりの件数が、学校や関係機関の不適切な対応により引き起こされたと言っても過言ではない状況となっています。私たちはこの「惨状」にどう向き合うべきなのでしょうか。これまで数多のいじめ問題を解決してきた現役探偵の阿部泰尚(あべ・ひろたか)さんは自身のメルマガ『伝説の探偵』で、「今そこにある脅威」から子どもを守るためには、大人たちがいじめに対する主義主張や理想の違いで対立すべきではないと記しています。
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いじめをするなら学校くるな、いじめで辛いなら学校行くな論争に終止符を
私が代表理事を務めるNPO法人ユース・ガーディアンは、いじめで学校に行くのが苦しくなってしまった子や根拠なく学校に行くことが正しいと思っている大人に向けて、「もしも君にとって学校が地獄ならば、行かなくていい。その代わり、いじめについて話してほしい」とメッセージを送っている。
これは、毎年8月末に各団体などと共に「いじめ自殺防止のための共同宣言」として行なっているものだ。そのためか、被害者が学校に行かないことを推奨している草分け的存在とされているようだ。
一方で、私はいじめ防止対策推進法を改正したほうが良いと発信しており、遺族会などから改悪とされた馳試案を全面的に否定した。その意味では、現行の「出席停止」が正しく運用されていないことを問題視している存在となる。
いじめ防止対策推進法の出席停止
いじめ防止対策推進法第26条には出席停止についての条文がある。
(出席停止制度の適切な運用等)
第二十六条 市町村の教育委員会は、いじめを行った児童等の保護者に対して学校教育法第三十五条第一項(同法第四十九条において準用する場合を含む。)の規定に基づき当該児童等の出席停止を命ずる等、いじめを受けた児童等その他の児童等が安心して教育を受けられるようにするために必要な措置を速やかに講ずるものとする。
では、学校教育法第35条とは何か?といえば、下記の通りとなる。
学校教育法第35条
市町村の教育委員会は、次に掲げる行為の一又は二以上を繰り返し行う等性行不良であつて他の児童の教育に妨げがあると認める児童があるときは、その保護者に対して、児童の出席停止を命ずることができる。
- 他の児童に傷害、心身の苦痛又は財産上の損失を与える行為
- 職員に傷害又は心身の苦痛を与える行為
- 施設又は設備を損壊する行為
- 授業その他の教育活動の実施を妨げる行為
つまり、いじめの加害者は、被害者に対して、学校教育法第35条の「他の児童に傷害、心身の苦痛又は財産上の損失を与える行為」をしているから、教育の保障、教育環境の維持という観点から、加害者の保護者に対して出席を停止を命じることができるというわけだ。
いじめ防止対策推進法立法においては、この学校教育法第35条を超えるものではないが、いじめ問題においては運用が極めて消極的である(実行されることは極めて稀である)ことから、特別法という観点で敢えて条文に記載したのだ。
つまり、いじめ問題において法により「出席停止」を条文に加えたことは、建前としては、懲戒ではなく学校の秩序の維持としつつも、懲戒的な作用がある「出席停止」をしっかりして欲しいという意味合いがある。なんとも頼りないところもあるが、法の裏付けがあれば、止まらないいじめ行為に対して、「出席停止」で対抗し得ると考えたのだ。
ところが、出席停止の年間総数は1桁台が2年間続いており、それ以前も行われるという事が異例中の異例だと考えられているのだ。
義務教育期間中は特に、加害者側の学習権の確保も必要であろうという観点もある。
例えば、北関東にある公立中学校では、いじめの加害者が激しい暴力を続け、複数人の被害者が不登校の状態になっているが、この加害者の保護者は、暴力を振るわせる原因を作った被害者に問題があると一方的な主張を学校に対して行なっていて、学校自体も対応に苦慮している。
さらに教育委員会で問題になれば、激しい暴力の中で被害者が抵抗してできた引っ掻き傷などを提示(病院の診断書まで提出)して、自分も被害者なのだと主張するのだ。
以前「伝説の探偵」で調査取材をした大阪府八尾市の暴力いじめ(「探偵が見た八尾市小6女子いじめ暴行事件の大人達によるクズ対応」)でも、被害者側が被害届を出せば、加害者側も被害届を出したわけだ。
このように、加害者側がいじめ被害を被せて訴え、議事を混乱させて被害自体をうやむやにしてしまうのだ。最終的には学習権を強く主張して、学校に加害者だけが居座ってしまう例は枚挙にいとまがない。
だからこそ、「いじめをするなら学校に来ないでください」をいうメッセージは当然のことだ。しかし、実務運用は、ほぼ使われることはなく、「出席停止」は極力避けている実態がある。
出席停止は運用されない
平成29年度の「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」(文部科学省初等中等教育局児童生徒課)によれば、いじめ加害者に対しての出席停止は、小学校で「1」(29年度)のみであった。
一方で、いじめ被害者が事実上出席できないとなったケース(緊急避難としての欠席)は「777件」(29年度)になっている。
つまり、出席停止の運用は学校教育現場としてはハードルが高くなっており、事実上運用されるようなケースはほぼないと言っても過言ではない。
学校に行くくらいなら死にたいと言う子どもたち
私のもとには多くのいじめ被害相談がくる。多くの子は、心も身体も疲弊しており、学校に行くという気力もないし、いじめ被害がトラウマなどになってしまい身体が拒否反応を示してしまうケースは多い。
よくもここまでいじめを放置したものだと憤りを感じるが、この状態になってまでも、学校に行かせようというのは、もはや拷問であり、二次被害と言える。
ところが、学校に行くことは常識と考える親世代がいることや、いじめを防止できていないのに登校を半ば強要する教員らがいるのだ。
現実として、私は校長会やPTAから批判されることがある。学校に行かなくていいなんて、不登校を推奨するのは、やめろという主張だ。
私は「君にとって学校が地獄なら、行かなくてよい」と宣言した。死ぬほど行きたくないなら、行かなくてよいというメッセージが不登校を推奨していることになろうか。
ほとほと日本語が不自由な輩には困りものであるが、それでも、学校に行くことが全てではないということが広がることで、自殺という選択肢が無くなればよいのだ。
問題なのは、いじめが起きたら学校に行かないことが正しい選択だと思い込んで、やたらと推奨しようとする大人社会であろう。
それが過剰になってしまえば、いじめられた子は、まるで「学校に来るな」と言われているように感じてしまう恐れがあるのだ。
実際にいじめ被害の子と深く話をしていると、「本当は学校に行きたい」「修学旅行に行けないのが辛い」「学校に行かないことで将来に不安がある」という声はよく聞くのだ。
つまり、多くの被害者は、本当は学校に行きたいが、いじめがあって行けないし、心のブレーキがかかって想像するだけでも辛くなってしまう。ただ、登校するより、いじめがない家にいた方が安心できると思っている。
そして、もしもその安心すら奪われるのであれば、居場所がなくなってしまう、追い詰められてしまうのだ。
問題の多くは教育行政にある
大阪・寝屋川市は、市長部局で新たに監査課を作り、いじめの調査に乗り出すことになった。
いじめの通報があれば、原則いじめがあったとして調べるのだ。さらに改善が見込めないとなれば、刑事告訴や民事訴訟の費用を30万円程度を上限に弁護士費用を支援するとも発表している。
ある意味、教育委員会にも学校にもできないのでしょ、と市長が乗り出したと言うようにも見える。
これまで私は、各地域の教育委員会と話をしたり、私立であれば都道府県の私学部や私学課を話をしてきた。その多くは、残念な知識量の担当者であり、子育てを謳い当選したのにも関わらず、自らの権限を知らない市区町村の長であった。
市長は逃げ回り、任命された教育長はいじめから助けてほしいという訴えをクレーム処理のように対応していた。
いじめ対応の基本は、「被害者の立場に立って」である。これは文科省も同様のことをホームページに記載している。
その前提に基づけば、行き過ぎたいじめの加害行為が学校としての秩序や被害者の教育侵害にあたるのだから、「出席停止」は妥当な判断になろう。一方で、物理的に、動線的にも被害者と加害者らが会わないように十分な配慮して「別室指導や授業」という選択もあっていいだろう。
そして、隠蔽問題の要因の1つでもある教育現場がいじめ行為をうまくキャッチしきれていない問題がある。
岐阜市のいじめ自殺問題ように、いじめの告発的報告や相談を加害者に漏らしたり、それを廃棄するようなことは、大阪八尾市の事件でも、小学4年生当時の記録が廃棄されてしまっていたし、カウンセラーの取ったノートも廃棄ということになっていて、詳しく見ていけば、保身のために隠されたいじめも多い。
こうした問題を起こした教員は処分されることもなく、のうのうと授業を行なったり、体調不良を言い訳に雲隠れしてしまっている。
神戸市での教員間の犯罪行為問題でも、加害行為を行った教員らは処分を不服としていると報道されていた。一方で、カレーつながりで給食からカレーが消えたり、連帯責任として、ボーナス加算分を取り上げたりと、その後の対応は迷走を極めていると言えよう。
こうした混迷の中、問題意識を持つ地方自治体の長などが旗振り役となり、その権限を十分に発揮することは、教育行政にある多様な問題を解消する一縷の光になる可能性がある。
そして、いじめから子どもたちを解放していこうというところで言えば、出席停止の運用問題や被害者だけが学校に行けなくなってしまうという問題も含め、いずれのメッセージも必要がなくなるように、教育行政と現場が制度や仕組みすらも変えていかなければならない。
だからこそ、寝屋川の広瀬市長のいじめ対策は画期的な取り組みの1つとして、大きな期待が寄せられているのだ。ぜひとも、全国の地方自治体の長には立ち上がってもらいたいものだ。
向かう方向は同じ、争うより協力しあえ
今年7月、岐阜市の中学3年生の男子生徒がいじめを苦に自殺した問題においては、激しい暴力があり、和式便器での土下座、金銭の要求など数々のいじめ行為が発覚している。
こうしたいじめについて、女子生徒が担任教諭に手紙(メモ)を渡し、知らせたが、このメモは加害生徒らに担任教諭が見せており、その後女性生徒への嫌がらせにも発展している。そして、このメモがこの担任教諭により廃棄されていたことも問題になっている。
この問題で、被害者にそれでも学校に行きなさいと言える大人はいるだろうか?学校に行かないことで、将来の可能性が減り、成績が落ちるとか、内申点が悪くなるから行けという大人はいるのだろうか?むしろ、学校に行かない方が良いのではないかと思うだろう。一方で、加害生徒らには、そんなことをするなら、学校に行くなよと思うだろう。
つまり、いじめ加害者には適切に出席停止を行い、「いじめをするなら学校に来るな」というのはメッセージとしては正しいと私は思うのだ。同時に、いじめ被害を受けて、学校に行くのが辛い子には、現実問題として、出席停止などの措置は実現されないことも相まって、学校に行かなくてもいいと声をかけるのも正しいと私は思うのだ。
付け加えるとすれば、いじめはなかなか見えづらいものだから、「いじめに対応するためにも、いじめの事実を話してくれないか」というメッセージだ。
どちらも同じ方向を向いているが、そのプロセスが違ったり、ディテールが違うことで対立しやすくなってしまうということは、歴史を見ても起こりやすいことだろう。
だからこそ、いじめから子どもを解放していこうという気運はメッセージ性の違いだけで対立してはならない。
なぜなら、今まさにいじめで苦しんでいる子は無数にいるからだ。問題解決には理想も必要だが、今そこにある脅威から子どもを守らなければならないのだから。
編集後記
平成29年度の「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」(文部科学省初等中等教育局児童生徒課)によれば、いじめで金品をたかられるは、「4,896件」内、小学校は「3,575件」と最多となっています。嫌なことや恥ずかしいこと、危険なことをされたり、させられたりするは、「3万1,351件」と、大変な状況になっている事がわかります。
いじめの認知件数は、平成30年度「54万3,933件」と過去最多となっています。
こうしたデータはインターネットでも閲覧する事ができますので、できれば多くの大人に見てもらいたいです。特に子育て世代には必見ではないかと思います。
多くの被害の保護者は、我が子がいじめられて被害者になり、そこではじめて学校や教育委員会の対応を知ります。あまりの酷さに言葉を失う人も少なくありません。
我が子は大丈夫、うちの子が行っている学校は大丈夫、という根拠なき信頼が、保護者のチェック機能を鈍らせていたのかもしません。
これからしばらくすると、学生は冬季休暇(冬休み)に入ります。そして年が明ければ、すぐに新学期がやってきます。
子どもの自死に関するデータによれば、こうした長期休暇後の休み明けやその前日での数は突出して多いと言えます。
我が子のみならず、近所や地域の子も、最悪の事態が起きないようによく観察しよくコミュニケーションをとって頂ければと思います。
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image by: DPeterson / Shutterstock.com