初対面の人とでも難なく会話を成立させてしまうような「人付き合いスキル」は、身につけようと思ってもなかなか会得できるものではありません。そんな能力を「一種の才能」とするのは、現役科学者のくられさん。くられさんは今回、自身の無料メルマガ『アリエナイ科学メルマ』で、「人付き合いスキル」と、その真逆の位置に存在するスキルであると考える「教養」のどちらを身につけている方が、人生を送る上で得なのかを考察しています。
人生に必要なのは教養なのか人付き合いスキルなのか?
理系文系と学問をわざわざ分けているのは日本ぐらいなものですが、今回は、別にそうした文理の学業の話ではなく、世間的に文系スキルなどと言われがちなコミュニケーションスキルについてです。
まあ、本当に文化系学部の研究者からすれば死ねという感想しかなさそうだが、それはさておき。
人付き合いをそつなくこなす力…自分はこれを「人付き合いスキル」と呼んでいますが、これも一種の才能で、どんだけ身につけようとしても挙動不審の怪しくキモい動きにしかならない人もいるし、自分ができてると思い込んで自称モテを振りかざす痛いヤツになったりと諸々あります。
この、人とそつなくうまく会話をこなす、初対面の人とも楽しく話を盛り上げることができる…そういったトークスキル、人の気持ちを先読みして良い感じに寄り添う感じを演出する、中には相手の思考を誘導するなどなど、「人付き合いスキル」もなかなか多彩です。
この「人付き合いスキル」は、知恵や知識、情報、そうしたものを冷静に判断し知恵と経験を合わせ合理的に物事を考える「教養」というものと真逆の位置に存在するスキルなのではないかと自分はこっそり思っています。
もちろん何の根拠もなくて、長い人付き合い、いろんな人を見てきての経験則でしかないのですが、「人付き合いスキル」と「教養」は同居が困難なもので、故に「教養」にガン振りした学者の類いの人種は人間付き合い自体が基本的に苦手なのではないかと、そう思うわけです。
自分も人付き合いが好きかと言われると…実はあまり好きではありませんが、おそらく得意な部類です。故に「人付き合いスキル」のおかげでたいして強くない「教養」を誤魔化していられるのではないかと自己分析しています。うわ、やだ、死にたい。
理系馬鹿という言葉がありますが、例えば法律の専門家で人語をまともに介せない人もいますし、文学にのめり込みすぎて人の形を失ってしまった人もいるわけで、さまざまな専門知識にガン振りしすぎたおかげで、人間性に難ありとか、ちょっと付き合いにくい的に扱われるのは皆さんも記憶にあるでしょう。
身近な例だと、理科の先生は国語の先生より風変わりな人が多い…的な(笑)。
「人付き合いスキル」と「教養」どっちが強いのでしょう、どっちが得なのでしょう?
これも語弊しかなくて完全に独断と偏見による自分の感想なのですが、臆せず言うと「人付き合いスキル」のほうが社会的には強者になりやすいと思います。
「教養」はこの世の理を自分で理解して、それを改変する力さえ持つわけで、科学という魔法を使ってルールを書き換えることさえできて、実際に銃などの兵器などで物理的に物事を思ったように運ぶことができる。これが「教養」の魔かなと思います。
「人付き合いスキル」はどうでしょう?自分のできないことは全部口八丁手八丁で人任せにできれば、自分の努力は必要なく、すべて他人任せで回すことさえできるのが「人付き合いスキル」の魔の部分でしょう。
この二つの属性、社会が小さく人が少なければ「教養」の圧倒勝利なのですが、社会が複雑であり人間が圧倒的に多くなると「人付き合いスキル」が圧倒的勝利になります。
というのも、「教養」を武器とする人もそのまま使ってしまえばいいからです。
それゆえ「人付き合いスキル」はぶっちゃけこれだけで人生が乗り切れてしまうほど強い才能や武器(教養ゼロだけど上り詰めたお笑い芸人とかいるくらい)ではあるが、やはり教養があることで乗り切れる局面生き残れる可能性、なにより欺されない強さが身につくので、なにごとにもバランスが必要ですね…というクッソ地味でオチもつかない話になっていくのです(笑)。
「人付き合いスキル」に全振りできるのはもはや才能なので、もし、自分にそれがあるな…という人はそれにガン振りしてみてもいいかもしれません。
もっとも、自分は理を食み実を積み生きることが「楽しい」ので損であっても「教養」を大事に生きたいなぁ…と思ってます。
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