オンライン授業の可能性
【毎日】の「余録」は、江戸時代の寺子屋の話から。寺子屋の情景は実におおらかで、「机の置き方もみんなバラバラ、まじめに手習いをする子、いたずらや落書きに熱心な子、師匠の後ろで立たされている子」まで。実は、「個々の子どもに合わせた教育を師匠が考えて行う個別教授」が寺子屋の基本で、実に弟子62人分の個別学習カリキュラムを師匠が作っていたケースまであって、資料が残っているようだ。
余録子が言いたいのは、画一的な授業スタイルは明治以降のもので、日本の伝統ではないこと。新型コロナウイルスの感染拡大で学校に子どもたちを集めにくくなったのなら、いつでもオンラインで授業を実施する準備を整えておくべきだったのに、やっていない。中国や韓国を含め、諸外国では精力的に行われているオンライン授業が日本でできないのであれば、「教育の世界水準についてゆけず、寺子屋の師匠にも笑われよう」と結んでいる。
uttiiの眼
確かに、通常の教室での授業と違い、オンライン授業では総ての子どもと教師は等距離・等条件で結ばれ、子どもの側は子どもの側で、他の子どもたちと私語をかわすことが困難になり、授業に集中せざるを得ず、教師と直接向き合う形になる。ある意味、集団的に実施可能な個別授業の理想型なのかもしれない。教師にはそれなりの指導技術が求められるだろうし、子どもたちにもオンライン授業に合わせた心構えとコミュニケーション能力が要求されるかもしれないが、ここは「禍転じて福と為す」、大々的に取り組む価値がありそうだ。パソコンの配布は勿論、必要だが。
故郷は遠きにありて…
【東京】の「筆洗」は、「ふるさとは遠きにありて思ふもの」で始まる室生犀星の「小景異情」から。その犀星も、関東大震災後、故郷の金沢に帰ったのだという。筆洗子は「誰にでも「遠きにありて思ふもの」では抑えきれず、故郷へ帰りたい日がある」と。
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、非常事態宣言の対象になった東京などから、故郷に逃れたいと想っている人は多いだろうが、故郷への移動が感染リスクを高めると言われる。「望郷の念さえ果たせぬとは憎い新型コロナだが、そんなものを大切な故郷に持ち帰りたくない」と。
最後に、筆洗子お約束の小咄。一日中仕事で机に向かっていた男。ようやく仕事を終え、ほっとして「やっとこれで帰れる!」。「どこへ帰るのよ」。妻の声に在宅勤務だったことを思い出す。
uttiiの眼
《読売》の編集手帳子も既に在宅勤務になっていると言っていたが、事情は筆洗子も同じなのだろう。最後の小咄は、当人の実話に違いない。
帰省がもたらすリスクは、とくに、地方に居住するハイリスクグループである高齢者を危険に晒すという意味で、安倍首相が「厳に慎んでいただきたい」というようなことを言っていた問題だ。移動の過程を含め、リスクは高くなるのだろうが、帰省を事前に抑え込むことはかなり困難なのではないだろうか。何故なら、政府の非常事態宣言後、東京都などによる自粛指示がすぐには出されていない状況を鑑みると、この隙に帰省してしまおうという人がいても不思議はないからだ。中国の武漢では、封鎖の直前に500万人が脱出したと言われている。似たようなことがおきていないだろうか。
image by: MAG2NEWS編集部









