野中氏とは小渕政権発足2週間後に知り合い、波長が合ったこともあり、その半月後には情報収集衛星、1カ月半後にはドクターヘリを実現するよう任され、いずれも短期間で道筋をつけることができました。このいきさつは拙著『フテンマ戦記基地返還が迷走した本当の理由』(文藝春秋)に詳しく書いておきましたが、野中氏が初対面の私のことを過分に高く買ってくれた結果です。
その野中氏でも、「オレがオレが」の面は否めませんでした。大物政治家ですから、喋ること、喋りたいことはいっぱいある。黙って聞いていると、こちらの身体が蜂の巣になるのではないかと思うほど、言葉が飛んできます。その野中氏に、たまりかねた私は言いました。私が野中氏と会うのは、テーマを決めた「勉強会」がほとんどだったこともありますが、ついに言ってしまったのです。
「野中さん、私を呼んだのは野中さんの話を聞かせるためですか。それとも、私の話を聞いて、勉強しようというのですか」
野中さんは即座に私の言葉を理解し、「すまん」と言って、いつも2~3台持っている携帯電話も緊急連絡用の1台だけにして、電源をオフにしたのです。
それからの勉強会は、いつも2時間にわたって質問や確認以外、野中さんは私の話に口を挟まないようになりました。そして2時間が経過するころになると、「そろそろ喋っていいかな」と笑顔で言ってくれるようになったのです。
野中さんとは、情報収集衛星、ドクターヘリ、航空自衛隊の空中給油機の導入などの仕事をしましたが、非常に短い期間に実現できたのは、「勉強会」に無駄話がなく、濃密な情報共有ができたからだと思っています。
いまでも、一方的にまくし立てる政治家を見ると、野中さんのことを思い浮かべずにはいられませんが、小池さんも「内なる敵」を克服できるかどうか、正念場です。(小川和久)
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