問題は、議事録を残さない政府側のメンタリティです。政府の姿勢は一貫して「最初に結論ありき」で、そちらの方向に着地させるうえでの「民主主義的なプロセス」として専門家会議を位置づけていますから、政府の方針に異を唱えるような「まともな発言」が議事録に残り、政策が失敗したときに野党やマスコミから追及されるときの証拠になることを避けようとするのです。
週刊誌の世界に、「初めにタイトルありき」という言葉があります。一番最初に結論を考え、その方針の大枠を補強するような材料を取材で集め、記事に組み立てるのです。もちろん、いつもタイトル通りの特集記事ができる訳ではなく、狙いが間違っていない場合でも、針小棒大と言われるような中身に乏しい記事になることは少なくありません。
そういう週刊誌の世界で惨めなのは、企画会議でインパクトのある「タイトル」をぶち上げたものの、それが見当外れの結果に終わったり、場合によっては狙い撃ちした相手から告訴され、敗訴になったりするケースです。これが続くと、その担当者はダメ編集者の烙印を押されることは言うまでもありません。
日本政府の政策担当者について、私は「ダメ編集者」だという印象を抱いています。だから、いかに「都合のよい専門家」であっても、政府の政策にダメ出しをせざるを得ないのです。担当者としては、それが記録として公表されるのは、どんなことをしても避けたいでしょうね。
どうすればよいのでしょうか。ここはひとつ、発想を逆転させ、ちゃんと議事録を残し、公表することによって、緊張感を持つことから始めるのが、遠回りのようでいて、結局は近道ではないかと思います。
記録することと公表が前提になれば、会議などを設置する前に専門家と本音ベースで議論を詰めておくのが普通になりますから、政策担当者がダメ編集者のレベルから脱出できるのは間違いないでしょう。(小川和久)
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