中国は「香港国家安全維持法」を制定・施行するや、すでに多くの活動家を逮捕、拘束し、反中国の動きを封じています。そんななか、雨傘運動を主導した民主化運動のリーダーたちは法律施行前に団体の解散を表明したり国外に出るなど、難を逃れる動きを取りました。こうした行動を西欧流と捉えるのは、軍事アナリストでメルマガ『NEWSを疑え!』を主宰する小川和久さんです。小川さんは天安門事件時に見た上海人とは質の違う彼らの賢さに寄せる期待を綴っています。
香港人の思考は中国的か
香港に対する中国の香港国家安全維持法(国安法)の制定・施行で、民主化運動のリーダーの国外脱出や「撤退」のニュースが伝えられています。
「14年に起きた民主化デモ『雨傘運動』を主導した民主活動家、羅冠聡(らかんそう)氏(26)は2日深夜、SNSに『深刻な身の危険を感じている』と投稿し、既に海外に脱出したことを明らかにした。1日に米下院外交委員会の公聴会にオンラインで出席、中国の習近平指導部を批判し、『光復香港 時代革命!』と叫んだばかりだった。
羅氏の行為は、国安法が刑罰の対象とする『中央政府転覆』や『外国勢力との結託』に問われる恐れが浮上していた。羅氏は脱出先を明かしていないが、国際社会を舞台に活動を続ける意向を示した。在香港英総領事館の現地職員だった鄭文傑(ていぶんけつ)氏も1日、英国に政治亡命が認められたことを明かすなど、民主活動家らの海外脱出が続いている」(7月4日付毎日新聞)
流暢な日本語を操り、「民主化運動の女神」と呼ばれてきた周庭(アグネス・チョウ)さんも6月30日、「生きてさえいれば希望はある」というツイートを最後に民主化団体「デモシスト(香港衆志)」の解散を表明しました。デモシストは黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏、羅冠聡氏、周庭さんらによって2016年に結成された香港の代表的な民主化団体です。この動きを見て、私は天安門事件当時のことを思い出さずにはいられませんでした。
1989年6月4日の天安門事件発生の当日、私は上海の復旦大学のゲストハウスに滞在中で、上海市内のバリケードを内側から見た数少ない日本人の一人となりました。6社が支局を置いていた日本のマスコミは、特派員に危険が及ぶのを避けたいという本社の指示で、記者がバリケードの中で取材することを禁じていたからです。
このとき、上海市内のあちこちを上海国際問題研究所のC研究員の案内で歩き回っていた私は、おもしろいことに気づきました。大通りの交通を完全に遮断しているかに見えるバリケードでしたが、なんと、バリケードの両脇が、車一台が通り抜けられる幅だけ空けてあり、自転車を無造作に積んでバリケードの体裁を整えていたのです。そして、公安(警察)の車両が来ると、自転車をどけて通過させ、また自転車を積み上げることを繰り返していました。
私が、「それではバリケードの意味をなさないじゃないか」と言うと、バリケードの傍らで政治集会をしていた何人かが言いました。「上海人は頭を使うからケガをしないのです。北京の連中は頭を使わず、身体で勝負するから死ぬのです」。警察車両をフリーパスで通すのは、頭を使った上海流の「戦術」だと言いたいようでした。
帰国後、その話を中国大使館のK陸軍武官にすると、「中国人がみんな上海人みたいだと思わないで欲しい。上海人はずるがしこくて、中国人の間でも嫌われているのです」と、体制側のエリート軍人らしくない言葉が返ってきました。自分がバリケードの側にいたら、身体を張って戦うとでも言いたいようでした。天津出身のK陸軍武官は北京大学出身。文化大革命に翻弄され、農村に下放された経験を持っています。
そんなことを思い浮かべながら、今回の香港の民主化運動のリーダーたちの身の処し方を見ていたのですが、まず、上海人以上に頭を使っているという印象を持ちました。そして、単に頭を使うかどうかという問題よりも、長年の英国統治のもとで身についた西欧流の合理主義のなせる業ではないかと思うに至ったのです。
そういうわけで、私は香港の運動のリーダーたちが息長く民主化の精神を受け継ぎ、香港が完全に中国領となる2047年のころには、逆に内側から「中国の香港化」を動かしているかもしれないなどと、そんなことを思い浮かべたのです。(小川和久)
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