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銅像から読み取れること

【朝日】は11面オピニオン欄。「倒される「銅像」とは」と題する「耕論」で3人の識者に話を聞いている。奴隷制や人種差別に関わる人物の銅像を引き倒し、撤去させようという動きが米欧に広がっていることについての様々な意見。特に、米ニューヨーク・ハーレム地区に住むフリーライター、堂本かおるさんの話を中心に紹介する。タイトルを以下に。

(11面)
「今の力」の優位性を誇示

ここ20年、ハーレムには黒人の銅像が建つようになってきたという堂本さん。とはいえ、全米で見れば圧倒的に白人男性の銅像が多いという。銅像の意味には、確かに「昔の偉人」を讃える意味もあるが、それを通じて、「今の自分たち」の優位性を誇る機能もあると指摘する。

「ブラック・ライブス・マター運動」のなかで引き倒された「南部連合」の指導者たちの銅像に対して、歴史的建造物として擁護する議論もあるが、「こうした銅像には南北戦争が終わり、奴隷制が廃止されて時が経過した後に作られたものも少なくない」という。

奴隷制が廃止された後になって、殊更に「白人の優位性」を主張するようなものを、少なくとも公的空間に設置することには問題があるという。悪い側面を併せ持つ人物の銅像をすべて撤去せよとは言わないが、奴隷制は今も米国の根幹に関わる問題。米国社会の病理は奴隷制から始まった人種差別に由来すると。

●uttiiの眼

非常に目配りの効いた議論で、一つ一つ頷ける分析と主張がなされている。「耕論」はあと2人の論者の話で構成されていて、成田龍一氏と木下直之氏は、銅像を抹殺したり引き倒したりするのではなく、「白人優位を賛美した時代の象徴」として、あるいは「引き倒す人の銅像を一緒に置く」というやり方で、その時代と人物の功罪を問うという方法を提案している。

まさに「歴史は解釈の積み重ねで構成されている」(成田氏)のであって、破壊されたものも含めて「博物館などの公共の場に残す知恵」も必要なのかもしれない。過去は変えようがないが、過去の意味は読み替えることが出来るということだろう。

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