繰り返しますが、もちろん私(鮒谷)と異なっていて一向に構いません。というか、そのほうが自然です。
ただし、お金についての定義を曖昧にしたまま、あるいは、そもそも記載がない、ということならば、お金に対する意思決定基準もまた曖昧(あるいは存在しない)、ということになりそうです。
その必然的帰結として、お金に恵まれる可能性は低下していくことになりはしませんかね? という注意喚起をしている、そんな風に今日のメルマガを受け止めて頂ければ幸いです。
こうした話は一事が万事、であり、私たちが日常的に使っている言葉(特に多様している「基本語」)を更新、再定義、することによって精度を高めていくほどに、人生や生活、仕事やキャリア、あるいは蓄財、といった面において、満足度も高まっていくことは間違いなさそうです。
こうしたメカニズムが発動しているからこそ、人生における、それぞれの側面において満たされている人は、そうでない人と比較して相対的に【語彙が豊富で、言葉の定義にも独自性がある】つまり【脳内にある辞書のクオリティが高い】といえるのではないでしょうか。
学びとは本質的に、自分がいいなと思っている人生を歩んでいる人が
- どんな語彙を用いているのか
- それらの言葉にどんな定義を与えているか
を学ぶこと、であると、私(鮒谷)は理解しています。
image by: Shutterstock.com