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飯塚叩きが示す日本人の劣化。なぜ高齢ドライバー問題の本質を見誤る?

高齢者による自動車事故がニュースなどで頻繁に報道される昨今ですが、高齢者以外の事故の方が日本全国で発生していても、なぜ高齢者ドライバーによる逆走事故や交通事故ばかりがマスコミで大きく取り上げられるのでしょうか。精神科医にして映画監督でもある和田秀樹さんは、自身のメルマガ『和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」』の中で、年収の高いテレビ局社員の思考と報道姿勢を批判しながら、SNS等で加害者を叩く風潮が強くなった日本人の「不寛容さ」と「思考の不自由さ」について考察しています。

「高齢者ドライバー叩き」にみる日本の病理

このメルマガで高齢者の免許取り上げ問題を何回かやっているが、高齢者から免許を取り上げようとするのは警察とか財務省(取り上げたほうが確実に早く死ぬので年金財政が楽になる)の陰謀ではなく、マスコミの連中の本音なのではないかと思うようにもなった。

たまたま、新宿御苑の近くにおいしいラーメン屋を見つけたのだが、隣の駐車場が15分300円とバカ高い。

で、御苑に併設した半官半民のような駐車場が30分310円とリーゾナブルだったのでそこに停めた。運よく、行列もなかったので、24分で帰ってくることができた。

駐車場に入るときに、出ようとする車が戸惑っていたので悪い予感がしたが、その車が5分以上も、駐車場の出口の機械の操作がわからないようで戸惑い続けている。

見ると80くらいのおじいさんが運転している。どうにか出てくれてほっとしたら、次の車が5分以上待たされているのに、駐車券の用意も小銭の用意もしていないで、やはりまごまごしている。こちらは70代くらいのおじいさんでやはり2分くらいかかっている。

結局、私が出られたのはちょうど31分後。要するに1分超えて追加料金を払うことになり、ラーメンを食べるために620円も駐車料金を払うことになった。

こういうときに、高齢者は運転するなと私も本音では思う。

高齢者が暴走したり、逆走したりするのが、ときどきニュースで流れるが、それはめったにないことだからニュースになるのだろう。

通常のドライバーが高齢者の運転に対して感じるのは、トロいということだ。たらたらと制限速度を守り、黄色になる前から停車する。

最近は高齢者の運転が危ないキャンペーンが始まって、なおのこと彼らがゆっくり走るようになった。まさに邪魔以外の何者でもない。

おそらくテレビ局の連中もそう思っているのだろう。彼らの多くは年収1500万円を超えたり、親のコネで入るような金持ちの親から援助を受けられる人たちだ。

今、フジテレビのえらいさんになっている人が、有名女優とフライデーかフォーカスされたときも、駐車場にポルシェとベンツがおいてあった。私生活より、なんで彼らがこんなリッチな暮らしができるのかを問題にしてほしかった。芸能事務所からキックバックをもらうのが常態化しているとしたら、公共放送として許されることではない。

「高齢者の運転はむかつく」それはなぜだ?

こういうポルシェに乗るようなテレビ局の連中にしてみたら、高齢者の運転はむかつく以外何者でもないだろう。

ポルシェが人をはねてもニュースにしないくせに、高齢者の運転をことさら取り上げるのは、彼らから免許を取り上げるいい口実ができたということだろう。

免許保有者の2割が高齢者なら年間700件の死亡事故が起きても不思議でない。毎日2件ずつニュースにできる(実は死亡事故の4分の1しか人をはねていない。多くは実は運転者のほうが死ぬ、自爆などの事故だが)。

かくして、高齢者の免許狩りが始まる。そのほうが将来の要介護率をはるかに高め、高齢者を早く死なせるというのに。

自分たちの年収1500万円の維持のためには、年間5万人のアルコール関連死が出ても、WHOの再三の勧告を無視して、飲酒シーンのCMをやめないテレビ局の社員たちのやりそうなことだ。

【関連】山口達也を破滅させた“本当の容疑者”フジテレビと警察の欺瞞を暴く

あるいは遊び相手にやせ形が好きだという理由で、毎年100人の拒食症の死者(多くは若い女性)が出ても、やせすぎモデルの追放をやらない連中のやりそうなことだ。

命が大事と言ってコロナ騒ぎを起こしているが、彼らが人の命を大事に考えているとは思えない。

私だって、高齢者の運転にはいらつくが、それが彼らの自立生活と命を救っていることがわかっているので、我慢して、車の中で窓をしめきって「このくそジジイ、トロい運転やめろ」と叫んでいるだけなのに。

「罪を憎んで人を憎まず」が通じなくなった日本社会

さて、このメルマガでしか書いたことがないので、どういうわけか知らないが、ネット上で、89歳の暴走運転をした加害者に同情的な発言をしたら、「イイヅカにかわいそうと言うキチガイ精神科医がいる」ということになっているという。

頭のおかしい人間に「キチガイ」と言われることは正常という意味だから喜ばなければいけないのだろうが、やはり気分は悪い。

編註:今日の人権意識に照らして不適切と思われる表現がありますが、取り扱っているテーマや文脈から差別意図はないものと判断し原文を尊重しました)

日本には「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がある。

もともとの出典は論語ではないかとされているが、基本的には属人思考をいましめたいい言葉と思う。

現実に殺人事件を起こすような犯罪者の多くは、もともと粗暴な人ではなく、恨みのようなものをため込んで凶行に及ぶことが多いという。

だから犯罪者の人となりについて、近所の人などにインタビューをすると、「まさかこんなことをやるとは思えなかった」というような答えが多い。

ふだんからガラを悪くして発散できるような人のほうが本当に殺人はしないのかもしれない(DVやサディズムはエスカレートして人殺しをすることもあるからそうとも言い切れないが。私の知り合いにもサディストの被害者がいて、社会的地位を利用して、逃げられないようにしていたようだ。本当に殺されなくてよかったと思うが、そのサディストはエスカレートして刑務所にぶち込まれないと反省しないだろう)。

やはり罪を憎むのは当然であっても、人を憎むのには慎重になってしまう。

最近、虐待サバイバーの人の支援のようなことをしているのだが、児童虐待を受けた人が児童虐待をしてしまうような虐待の連鎖や、そういう人が凶悪犯になるというような場合、やったことの残酷さは憎むことができるが、つい加害者にも同情してしまう。

この国は、虐待された子供が殺されると、ものすごい同情を受け、加害者の親がメタクソに断罪されるが、その子が生き残った場合の心のケアはかなり乏しいし、その子が大人になってからのケアは皆無に近い。そんな中で犯罪に走ってしまうとボロクソにたたかれる。

永山則夫のころは同情の世論もあったが、今のテレビのコメンテーターは浅薄な人間がそろっているので、そういうものがまったく感じられなくなった。

少なくとも、暴走事故を起こした老人はわざとやったわけではないだろう。結果が陰惨だし、被害者の気持ちもわかるが、加害者だって、あの事故がなければ平和に老後を送りそのままお迎えを待つことができたのだろうから、やはりかわいそうだと思ってしまう。それも言えなくなる社会とすれば、むしろそれが哀しい。

私はテレビは完全に干され、ラジオもパーソナリティに嫌われて出番がものすごく減ったが、言いたいことは言い続けるつもりだ。

「体制は自由なのに、自由な思考をしない」のが日本人

ということで、私が受験生のころからずっと愛していた文化放送の出番がなくなったと思ったら、捨てる神あれば、拾う神ありで、ラジオNikkeiのゲストに呼ばれた。

パーソナリティは東海大学教授の葉千栄さん。今はなくなった朝日ニュースターの番組でご一緒したことがあるが、シャープな人であり、日本の将来を憂えてくれる親日家でもある。たぶん、前にお会いしたのは10年くらい前だったと思うが、その間(それ以前から始まっていたが)の日本の凋落ぶりを嘆いておられた。

中国がその間にどんどんのしてきたので、それを実感するのだろう。早大の大学院で学び、日本での経験を積むことで中国に戻っても有利になると考えたのかもしれない。

今、日本の大学で学んできたり、教授職についていたりしても、中国ではそれほど有利にならない。なめられた国になっていて損をしたと思っておられるのかもしれない(これは私の勝手な想像だが)。

ITでもスマホでも、いろいろな分野で中国に勝てなくなり、自動車産業でもドイツ車と比べてさっぱり日本車は売れていない。私もアメリカに行くたびに日本の落ち目を痛感する。

その葉先生が、最初に言った言葉が鮮烈に印象に残っている。

「中国は体制はめちゃくちゃだし、人々の自由を奪っています。でも、一人一人は自由に考えている。日本は体制は自由なのに、だれもが自由な思考をしない」

その通りだろう。

老人の事故でも可哀想だと言えば、コテンパンにネットで書かれる。コロナの自粛でも守らない人はコテンパンだ。お上と違う意見がとても言えそうな雰囲気でない(お上のほうが自粛がまずいと考えているようだが、マスコミがメンツにこだわって、自由な考えを許さないという側面もあるが)。

同調圧力が強くて、とても自由とは言えない。学問の世界でも上が強すぎて、自由な発想が許されない。近藤誠氏の乳房温存療法の紹介でもわかるが、教授がメンツを潰されるとコテンパンにそれを潰そうとする。

普通の国では面接入試をやる際に、ディスカッションができるかどうか、つまり教授に反論ができるかどうかを見るのに、この国では教授の言うことを聞きそうかどうかを判断基準にする。

だから、面接入試が始まってからというもの学生運動がほとんどなくなった。これでは中国以下と言われても仕方がない。

中国だって、習近平へのうわべの忠義を求めても、教授に逆らってはいけないということはない。

教育と大学の劣化が、日本の惨状を生んでいる

教育改革が騒がれるたびにゆとり教育をやらかしたり、入試改革ばかり行われるが、40代で教授になってから定年まで身分が保証され、上の言うことを聞かせるクズな大学教育は変わることがない。

日本の高校までの教育はアメリカやイギリスやアジアの国々の教育改革のモデルになっていて、大学の教育は世界でもバカにされつつあるのに、なぜこんなことになるのか?

私は審議会の委員が、現場の初等中等教育を行っている人間でなく大学教授ばかりなので、既得権益を守るためだと考えていた。

その要素もあるだろうが、これは文科省の人たちに都合がいいから、あるいは官僚全体に都合がいいからだと考えるようになった。

最近も、九州大学で役人が大学教授に天下るという話を聞いた。役人の天下りに厳しくなった今、大学教授というのが、役人たちのいちばんおいしい天下りの口だ。何の業績もなくても、教育歴がなくても、国立でも私立でも引く手あまただ。

ゆとり教育の旗振りの寺脇研氏も大学教授になっている。国立大学が国立大学法人になり、私立大学の多くも補助金に依存しているのだから、役人の天下りを教授にしたほうが、それがうまく配分されるのだろう。

かつて山形大学の学長に文部省の元次官が選ばれたが、補助金を大量に集める達人だったという(そのおかげで有機ELの研究は全国トップレベルだったそうだが)。役人の天下り先である以上、定年まで身分が保証されていないといけない。これが思考の自由を育てない教育につながるのだろう。

日本人よ思考の自由を取り戻せ

思考というのは自由なものだ。

人を殺すのはいけないが、「ぶっ殺してやりたい」と思うのは自由だ。そう考えることさえいけない国になってしまったら、進歩は期待薄だし、べき思考はメンタルヘルスに悪く、自殺にさえつながるというのに。

【関連】三浦春馬を誰が殺したか?“犯人”は今日もビールを旨そうに飲んでいる

image by: shutterstock.com

※本記事は有料メルマガ『和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」』2020年10月24日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月すべて無料のお試し購読をどうぞ。

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高齢者を専門とする精神科医、学派にとらわれない精神療法家、アンチエイジングドクター、そして映画監督として、なるべく幅広い考えをもちたい、良い加減のいい加減男。

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