新型コロナ感染の再拡大が進み「第3波」の声も聞こえてくる昨今ですが、私たちの生活の中で大きく変わったのが、ファッションに対する考え方です。ホームステイが当たり前となった今、通販で服を買う人が増え、百貨店などの実店舗へ出向く機会が大きく減っています。メルマガ『j-fashion journal』の著者で、ファッションビジネスコンサルタントの坂口昌章さんは、コロナ禍以降、「日本のアパレル企業は半減する」と断言。その根拠と問題点、そしてアパレル業界の未来について持論を展開しています。
日本のアパレル企業は半減する
1.慢性的供給過剰とオーバーストア
どんなにコロナ禍がひどくても、必ず終息するはずだ。終息した時に、アパレル製品の需要が供給を上回れば、アパレル消費は回復するだろう。しかし、アパレル製品は慢性的な供給過剰である。多分、1970年代から供給過剰だったと思う。
個人的に考えても、アパレルのショップは多すぎる。あらゆる百貨店、ファッションビル、ショッピングセンターにアパレルショップがあふれている。多分、ショップ数が半分になっても消費者は困らないだろう。この実感があるから、アパレル企業が半減すると考えているのだ。
実は、アパレル業界は常にスクラップ&ビルドの連続だった。小資本で独立できるので、起業も容易であり、その反面、倒産も多い。ビジネストレンドや流通構造が変化する度に、淘汰が繰り返されてきたのである。
その中でも、百貨店と百貨店アパレルは相互に依存しながら、比較的安定していた。しかし、コロナで3カ月近く百貨店が休業したことで、致命的なダメージを受けた。
多くの生活者は3カ月も百貨店が閉まっていても、何の不自由も感じなかっただろう。また、3カ月の間、百貨店も百貨店アパレルも何の動きも、情報発信もなかった。
その間、アマゾンなどのネット通販やデリバリーサービスを利用する人が増えた。成長する企業は変化に対応し、衰退する企業は変化に対応しないものだ。
考えてみれば、アパレル製品の消費は、季節の変わり目に新製品を購入するという生活のリズムがあったと思う。そのリズムが途切れ、人々は家に閉じ籠もり、断捨離に励んだのである。
最早、生活者の意識が変わってしまった。そして、アパレル製品の需要も大きく減退したと言っていいだろう。
2.アパレル企画・生産の中国依存
日本のアパレル企業が取り扱っているアパレル製品のほとんどが中国製品、中国生産である。
初期の中国生産は、日本国内でデザインし、パターン、縫製仕様書を作成し、生地、付属等を揃えて、中国に送り、縫製だけを依頼していた。
しかし、やがて生地や付属を現地調達するようになった。
更には、日本の商社・企画会社チームがサンプルを提案するようになった。アパレル企業は、サンプルを見て発注するだけで商品が調達できるのだ。
次に、サンプル提案から生地付属調達、輸出入までできる中国のOEM工場が登場した。
日本のアパレル企業は小売業に変化したのである。それでも、店舗流通中心の時代は日本企業が必要だった。中国企業が日本市場で店舗運営を行うのは困難だからだ。
しかし、ネット通販が主体になれば、最早、日本企業は必要ない。日本に販売法人を設立すればビジネスはできる。
多分、日本のアパレル企業が半減しても、消費者は気づくこともないだろう。市場には十分な量のアパレル製品が供給されるに違いない。
3.トレンド訴求から素材・機能訴求へ
これまでのアパレル企業は、トレンド情報を基本に商品計画を組み立てていた。トレンド情報とは、欧米の年2回のコレクション情報、テキスタイル見本市のトレンド情報等を指す。アパレルのコレクションは、店頭展開の半年前に行われる。それを分析し、前年実績や競合店情報を加味して、商品計画を組み立てる。最終的に、店頭展開の二カ月前には商品計画を決定し、商社や海外の縫製工場に発注することが必要だ。
商品企画の確度を上げるためにギリギリまでリードタイムを短縮し、短サイクル生産を行う。
その結果、テキスタイル開発が間に合わなくなり、市場にある素材を使う企業が増えた。素材での差別化ができないので、形に依存することになる。デザインはトレンド情報依存に陥り、ブランド間の差別化が難しくなる。コロナ以前も多くのアパレル企業がそんな課題を抱えていた。
一方、ユニクロや無印良品、スポーツウェア、アウトドアウェア、ワーキングウェア等は素材開発を行い、リードタイムの長い計画生産を行っている。在庫を持たずに、売れ筋を追いかける手法ではなく、ある程度の量をまとめ、素材開発を行い、最適な地域の工場で生産しているのである。
皮肉なことに、ファッションアパレルと呼ばれる一般のアパレル企業より、スポーツウェアやアウトドアウェア等が新素材、新機能を訴求し、トレンドをリードするようになっている。
最早、トレンド中心の商品計画には無理がある。そんな市場変化の中で、コロナが止めを刺したと言うべきかもしれない。
4.欧州にはない独自のファッションを
日本人は流行が好きだ。江戸時代には着物の柄や羽織の丈の流行が見られるし、ヘアスタイルにも流行があったようだ。
そういう意味では、日本は昔から大衆ファッションが存在していた国であり、上流社会にしかファッションが存在しなかった欧州とは性格が異なっている。
日本オリジナルの既製服が登場したのは、DCブランドからだった。当時の大手アパレルはトレンド情報を意識していたが、DCブランドは欧州のトレンド情報を意識していなかった。
これは欧州のデザイナーブランドも同様である。自分たちはトレンドを作る側であるという意識を持っていた。トレンドを追いかけるのは、売れ筋を追いかけてコピーするデザイナーもいないブランドだけだった。
渋谷の109全盛の時も、欧州のトレンドを意識するより、渋谷に集まる女子高生の顧客とのコミュニティの中から新しいファッションが発生していたのである。
ファッションの本質はコピーではない。ヨーロッパ以外の地域で、ヨーロッパにはない独自のファッションを生み出すのは、日本だけだ。
これを追求していけば、アニメやゲームに並ぶ、日本のポップカルチャーとなり、海外にも輸出できるのではないか。
編集後記「締めの都々逸」
コロナでトレンド追随のファッションが淘汰されることは、日本独自のファッションを発信するチャンスかもしれない。
「人の真似して 無難なものを 誰が評価をするものか」
既存のアパレル企業は半減すると思います。
否応なく、世代交代が進みます。
実用衣料は資本力のある企業が行い、日本独自のブランドは手作り派の若いデザイナーが創造していくのかもしれません。
日本には、独自のマンガ、アニメ、ゲーム等があります。独自のグラフィックです。ですから、独自のファッションがあってもいい。というか、独自のファッションでなければ、存在意義がありません。
実用的な服ならば、ユニクロ、無印良品、しまむらで十分に足ります。個人でなければできないファッション。手作りだからこそできるファッションがあると思います。
そんなムーブメントを日暮里で作れたらいいな、と思っています。(坂口昌章)
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