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笑ってはいられない「ガースー内閣」支持率どん底の深刻な裏事情

朝日新聞による世論調査でも政権発足時は65%という高さを誇っていたものの、直近の調査では39%とまさに大暴落となってしまった菅首相の支持率。その理由としてコロナ対策の失敗やネット番組での「ガースー発言」を挙げる向きもありますが、「根本原因」はどこにあるのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では著者で米国在住作家の冷泉彰彦さんが、2020年代の政治指導者に求められる困難な課題への挑戦を「ファクター2020」としその本質を探るとともに、菅首相が直面している問題や置かれた立場を考察しています。

菅総理は何に直面しているのか?(国家指導者論)

菅総理が支持率低下に苦しんでいるようです。そうは言っても、「5人以上と会食した」とか、「ガースーと自称」して評判を下げたというのは、キッカケに過ぎません。世論の中に何か漠然とした不信や不安があり、それを「何か分からぬままに」面白半分に火をつけたメディアが犯人と言えます。

では、メディアが悪であって、世論や総理本人は罪はないのかというと、そういう問題でもありません。政治における「何か」、それこそ2020年代の政治をどうするかという「ファクター2020」のような何かがウゴめいており、世論における不信も、菅総理の「スランプ」もそこから来ているように思われます。

ということは、今回の支持率低下の中には、日本における2020年代の「指導者論」というような形で、その「ファクター2020」を探すことが重要になってきます。ところで、この「ファクター」を「2020」としたのは「X」とすると、山中伸弥博士の言う「コロナに強い原因のナゾ」という話と「かぶる」ので他に理由はありません。

さて、指導者論ということで言えば、18世紀から19世紀の世界では、そもそも大統領など国のリーダーの言動が日々の日常社会に影響を与えるということも限定的でした。例えば、欧州の多くの国では立憲君主制の奥に寡頭政治を抱えた政体が国を回していましたし、日本も同様でした。アメリカの場合でも、建国直後の大統領は国民全員参加の直接選挙ではなかったわけです。

そうした指導者たちは、現在よりはずっと国民との距離がありました。ですから、各国は秘密同盟を網のように回らすなど、かなりいい加減な政策ができてしまっていたのです。この点に関しては、19世紀を通じて、世論を意識した政治への変化をして行きました。例えば、1870年の普仏戦争の勃発に際しては「エムス電報事件」という新聞を使った世論操作が行われています。

20世紀に入ると変化が加速しました。新聞とラジオの普及が民主政治の性格を大きく変えていったのです。例えば、第一次世界大戦は新聞が作り出した戦争だということがよく言われます。国家の総力戦が破滅的なレベルまで継続されたのには、新聞が世論を煽ると、政権としては引っ込みがつかない事態に陥るからです。そもそも、アメリカが孤立主義を捨てて参戦したのは、「ルシタニア号事件」という商船沈没事件によって世論が動いたからでした。

一方で、第二次世界大戦で大きな要素となったのはラジオでした。日本でも、大本営発表のラジオニュースが世論誘導の大きなツールとなり、その世論が陥った自滅のモメンタムを停止させるのにも、昭和天皇による肉声(玉音)をラジオ放送するということが必要になったのでした。

アメリカでも、大恐慌と戦争指導において当時の大統領であったフランクリン・ルーズベルトは、国民にダイレクトに呼びかける「ファイヤーサイド・チャッツ(炉辺談話)」というのをラジオでやって大成功を収めました。

余談になりますが、新聞やラジオというのは、情報量が少ないために戦争指導を恣意的に歪めることができたわけですが、TVというのは「何でも映像化してしまう」ために、戦争の悲惨を暴露してしまった、従って、例えばアメリカがベトナムで敗北したのは、TVのためだという議論があります。

勿論、TV時代に戦争が不可能になったわけではなく、90年代以降では、「原油まみれで真っ黒になった鳥の映像」で敵愾心を煽ったり、「偵察衛星から撮影した誘導ミサイル着弾シーンの白黒映像」など間接性が高く、同時に「おどろおどろしい」映像効果など手を変え品を変えて映像による世論操作を行なうことが進みます。

それはともかく、TV時代の到来は、民主政治における指導者像に対しても変化を与えました。1960年のアメリカ大統領選では、初のTV討論にあたって、ファウンデーションの研究を徹底したケネディがニクソンを制したというのは有名な話です。

その後は、TV映りという要素は政治家にとって重要な技術として考えられるようになりました。以降は、様々な形で「映像化」が行われ、そこにストーリー性が付与されることで、政治が動いて行くこととなります。

日本の場合も、角さんの「ヨッシャ」とか、大平さんの「アーウー」などは、TV映えということから考える必要があるし、三木政権が内実はボロボロであったにも関わらず延命したのも「TVの効果」がありました。また、福田赳夫政権や森喜朗政権が短命に終わったのもそうかもしれません。極め付けは小泉政権で、彼の構造改革論というのは、実は中身はカラッポですが、それが5年も持ったのはTV映えということが大きいと思います。

その点で言えば、菅総理は「TV対策」がうまく行っていないので、支持が下がったというストーリーは描けると思います。確かに、ご本人が密室コミュニケーションだけで総理総裁まで来た人であり、周囲にもコミュニケーションのプロがいないということで、この「映像対策の欠陥」ということはあると思います。

コミュニケーションのテクニックということでは、ネット上のニックネームであった「ガースー」を自称してしまったというのは、確かに致命的でした。この「ガースー」という言葉のニュアンスですが、例えば山本一郎さんなどが散々使い倒してきたわけですが、そこには複雑な意味合いが「まとわりついて」います。

具体的には「官邸の奥で辣腕を振るい、メディアに圧力をかけ、安倍政権を支え、おまけに東京新聞の望月記者とのバトルを劇場型に仕立てるぐらいの凄味のあるヤリ手」であるから、世論としては大いに警戒してもいいが、「安倍さんよりはイデオロギー色は淡味で、基礎能力が高く自分の判断基準もありそうなので、期待はできるが期待し過ぎてもダメ…」的な、非常に微妙で繊細なニックネームであるわけです。

そうした複雑さをまとった「ガースー」という長音を入れるとカタカナ4文字を、「中の人」が口にした途端に、その4文字のオーラも威厳も、悪印象も好印象も手品のように「煙がドロン」的に消滅してしまったわけです。その瞬間のネット界隈の落胆を、多分「中の人」は分からないんだろうなあ、的な落胆のスパイラルというか、そういう話です。それ以上でも以下でもありません。

問題は、ですから「ガースー」発言に何か本質的な意味があるわけではありません。また、菅政権としてトップのイメージ戦略、あるいは政権としてのブランド戦略がダメということはあるわけですが、それも本質ではありません。

そうではなくて、やはり問題は「ファクター2020」なのです。そうそう、その前に「2000」の話をしておかねばなりません。

21世紀の世界の政治においては「ファクター2000」というのが、大きな要素になっています。それは音声でも動画でもない別の要素です。それは、「イデオロギーにおける赤組、青組のガチンコバトル」という要素です。

つまりポスト冷戦時代における、イデオロギーの対決が大きく2つに集約されてしまった中で、その「赤組VS青組」というヴァーチャルなネトゲーに、世論の多くが参加してしまい、その全員参加、集団監視の中で、大衆政治家はイデオロギーの「プロゲーマー」として振る舞う、そうした時代が到来したのでした。

20世紀型の政治家は、曲がりなりにも政策パッケージがあり、その点では職業政治家であり、ただし、それが民主制のオーソライズを受けないと権力が発生しないので、TVを使ってイメージ戦略をしていたわけです。

ですが、21世紀の政治家たちには、この「赤組青組ゲーム」のプロゲーマーとして、素人が唸るような「敵を叩くプレイ」を誇示したり、「凡人の持っていないアイテム」を振りかざして敵を攻撃したりすることが求められました。

ですから、とにかくプロゲーマーとしての「公開されるゲームプレイ」におけるパフォーマンス「だけ」が注目されます。壁を作るとか、靖国に「みんな」で行くとか、原発や基地反対とか、マイノリティーに憑依して赤組をぶっ叩くとか、逆に国民国家の「殺しのライセンス」に憑依して青組を叩くとか、世界中で似たような現象があり、そこでパフォーマンスを上げると、大衆政治家として政策実行のための「ポイント」がもらえるという仕組みです。

中には、そのせっかく貯めたポイントを最適解の実行に消費するのではなく、ひたすら自分の再選キャンペーンに使ってしまうポンコツな政治家もいるわけですが、例えば安倍前総理の場合は、せっせとネトゲで「青組叩き」をやってポイントを集めては、譲位と改元、日韓合意、日米相互献花外交、金融緩和、トランプ封じなど中道政策実現というアイテムに交換していたわけです。

菅さんの悲劇は、これは中の人の性格によるのだと思いますが、この「赤組青組バトル」には本気ではないということです。官房長官時代には、望月記者との掛け合い漫才などで「バトル」をやっていたわけですが、あれはあくまで計算された「司司(つかさつかさ)」の挙動であり、だからこその「ガースー」だったわけです。

ですが、決して本気ではなかったし、それはそう顔に書いてあったわけです。ですから、その菅さんが総理になったということは、これからは「ネトゲのバトル」でごまかすことはしませんよ、とにかく政策課題にしっかり取り組みます、という姿勢に受け止められたのです。

そうではあるのですが、安倍時代の「赤青バトル」というスタイルをいきなり捨てるのは危険です。ですから「学術会議問題」などで、下手くそな官僚の筋書きに乗ってみたわけですが、それも本腰ではないし、そもそも「赤組青組バトル」ゲームというのは、世界中で盛り上がっていてギャラリーも目が肥えているので、菅さんの曖昧な姿勢は「プレイとして面白味に欠ける」ということになってしまったわけです。

問題は、しかしながら「菅総理の政治姿勢は時代として必然」であるし、やや大袈裟かもしれませんが人類的な意義があるとも思います。それは2020年代の政治指導者に求められるのは「ファクター2020」という全く別の次元のチャレンジだからです。つまり「赤組青組バトル」の時代ではなく、もっと困難な課題への挑戦です。

それは「問題が深刻なので、ボロボロになっても敗戦処理に徹する」ということです。

2000年代から2010年代の世界はというのは、まだ余裕がありました。ですから、ブッシュはイラク戦争に猛進して「赤組」側でバトルをやってポイントを稼ぎました。オバマは、ゲームに入った時点で膨大な青色ポイントを持っていましたから、不況対策でそれを使い果たして8年間完走しました。トランプに至っては、4年間赤色のポイントをしこたま貯め込みましたが、選挙というカジノで全部スッてしまったわけです。ですから、この賭場はインチキだといつまでもブーブー言っているのです。

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小泉は「構造改革」という本当は中身空っぽのスローガンと、親米というポジションで赤色のポイントを貯め込み、抵抗勢力叩きをやって更にポイントを貯め込み、結局は何もしないでポイントを抱えたまま引退してしまいました。安倍は、前述したように赤組ポイントを貯めては、中道政策をやって消費し、消費税を上げて消費しということで7年もやったわけです。

ところが、菅政権というのは、この「赤青バトル」でポイントを貯めるということができていません。そうしたポイント稼ぎには極めて淡白な感じです。ところが、反対に、解決すべき難問は山積しているのです。そして、どの難問も、赤組、青組のどちらも味方しない、孤独な道なのです。具体的には、このメルマガで何度も申し上げている、コロナにおける対策と経済の中間にある「誰も支持しない真空地帯」がそうですが、それだけではありません。

1.対中国、対北朝鮮ということでは、韓国との関係改善が必要だが、紅組は反対、青組は静観、バイデンの外圧は期待薄ということで、寂しい孤独な道が待っている。

2.バイデン政権の抱える左派はパレスチナ寄りの非介入主義、これと、トランプ派の非介入主義がシンクロする可能性としては東アジアがあり、ヘタをすると米軍プレゼンスの見直し論も出てくる。そうなると自主武装論だが、敵基地攻撃能力論とか核武装とか後先考えない赤組と、日米安保見直しで更なる軽武装化というお花畑の青組の間にある「実現可能な細~いライン」というのは、左右から砲弾飛び交う寂しい道。

3.トリチウム汚染水の海洋放出は、国策として決定したが、世論はおそらく「ついてこない」し、下手にやると韓国や台湾が、あるいはロシアが怒り出しそうで、これも孤独な綱渡り。担当大臣に政治生命を消費させて乗り切ることも無理そうで、総理のポイントを減らすことになるか。

4.脱炭素のタンカを切ったはいいが、これもEV化には原発稼働が必須で、そうなると赤組もついてこないし、青組は「絶対反対」のお祭り騒ぎとなり、手持ちのポイントはあっという間に消滅。寂しい孤独な道しかない。気がつけば、国内の自動車産業消滅という悲劇も。

5.コロナでインバウンド消費向けの経済と、出生率が相当に傷んでいる。短期対策は、何とかするにしても、中長期的な「巻き返し」にはカネが必要。そうなると、財政規律宗教の総本山を焼き討ちしないと無理だが、そんな兵力はなく、そうなるとGDPがさらに縮小し、孤独で寂しい道しかない。

整理していてどんどん陰鬱になるわけですが、本当に「世界に先駆けての課題先進国」とはよく言ったもので、本当に日本が直面する課題は大変です。

昔、亡くなった思想家というより文学者の吉本隆明さんが、国家権力は悪だが、例えば総理大臣というのがバケツの水汲み当番のようになって、仕事を淡々とこなすだけになれば、国家の危険性や暴力性は消滅する…正確な表現はともかく、そのようなことを言っていました。団塊世代の青春期には、そうした言い方が、理想論と思われていたのです。確かに、当時の国家権力は強力で邪悪だと思われていたからです。

けれども現在の状況で言うと、総理大臣というのは、バケツの水汲みどころか、「国民の皆さまがバケツの水汲みをなさって、びしょびしょになった泥道のぬかるみを、シャベルや素手で必死に泥まみれになって歩きやすいように直す」という縁の下の労働に成り果てています。

しかも、国民の方は赤組とか青組のバトルゲームをまだやっていて、その延長で、総理大臣をボコボコに叩いては、ストレス解消の道具にするということもある、そんな感じです。

私が、石破茂とか、岸田文雄とか、あるいは枝野幸男といった人々、それから野田聖子とか、更には稲田朋美とかいう人々のことが信じられないのは、現在の日本の総理大臣というのは、本当に泥まみれになって「石つぶて」と罵声の飛び交う中で淡々とシャベルを使って、孤独な細い道を掘り続けるような仕事だということを「理解している感じがしない」からです。

コロナ対策で中央政府をチクチク「いじめて」喜んでいる大都市の「赤組ゲーマー」の諸兄姉がダメなのも同じです。都府県レベルなら、後に国が控えていますから、「いいとこ取り」が可能なんです。だったらお前がやってみろよという話ですね。

その点で、菅さんには、どこかで「最初から政治家というのは、泥まみれになって孤独な道を掘り続ける仕事だ」ということを(悪い意味、つまり過剰な自負も含めて)多少は理解している珍しい人材だと思うのです。

ちなみに、下村博文氏なども、そうした認識があると思いますが、下村氏の場合は、「人間社会はどうせみんな泥まみれ」という行き過ぎたニヒリズムを感じます。それでは、トップには向きません。まして先進国のリーダーとしては失格で、本人のためにも止めておいたほうがいいです。

少々放談に近くなりましたが、現在の支持率低下というのは、「会食してしまいました」問題にプラスして「ガースー」問題が加わって発生したわけですが、勿論、その背後にはコロナ禍の長期化による世論の疲労感というのがあるわけです。

ですが、その奥にはとにかく「解決不可能な問題」が山積しています。外交、安保、環境、エネルギー、どれも「最適解には支持はなく」、赤組も青組も実行不可能な罵声をゲーマーに浴びせるだけです。これが「2020年型のリーダー」が置かれた「初期設定」なのです。

そこから、どう菅さんが巻き返していくのでしょうか。勿論、メディアなどは、不敵な笑いを浮かべながら「ゲームオーバーに追い込んでやれ」と無責任な攻撃を仕掛けていますから大変です。ここをどう生き延びていくのかということです。

例えば河野太郎さんとか橋下徹さんとかの場合は、仮に自分が政権を取ったら「最高の技術を駆使して、思い切りポイントをかき集め、権力を集中して正面突破してやる」と思っているような感じがあります。サッチャーとか、リー・クワンユーみたいに「やっちまえ」というわけですね。

それも国難においては、全く否定はしません。ですが、菅さんの場合は、そこまでの大仕掛けはしないで、政策の効果を積み上げて何とか政権が続くだけのポイントを獲得して行きたい、そんな姿勢を感じます。どうにも周囲のブレーンが頼りない感じがしますが、当面、この路線でどこまで行けるかは、注視して参りたく思います。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より一部抜粋・文中一部敬称略)

image by: 首相官邸

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東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは第1~第4火曜日配信。

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