2月4日に開幕した北京冬季五輪。開会式では各国が威信をかけたユニフォームを身にまとった代表選手たちの入場行進が見られましたが、日本選手団の衣装に関しては各所から「無難」との声が上がっています。今大会に始まったことではありませんが、なぜ我が国の公式ユニフォームは他国に比してかくも個性が感じられないものなのでしょうか。今回のメルマガ『j-fashion journal』ではファッションビジネスコンサルタントの坂口昌章さんが、欧米各国と日本の選定システムの相違点と、日本人が持つ特殊なアイデンティティをその原因として指摘。さらに今後、日本が海外に訴求すべき価値観について考察しています。
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日本にはデザイン戦略が必要だ
1.ユニフォームは利権ビジネス
2022年北京五輪の開会式は、中国らしい華やかな演出が光っていた。各国選手団のユニフォームもそれぞれのお国柄が現れている。
そんな中で、日本選手団のユニフォームは無難ではあるが何か物足りなかった。これは今回に限ったことではなく、毎回感じていることだ。
五輪ユニフォームのデザイン選考はほとんど密室で行われている。国民を巻き込むイベントとして演出されることもないし、デザイナーによるプレゼンも見たことがない。
公共のユニフォームを百貨店が受注することも多いが、これは単純に既得権であり、百貨店にそのような機能はない。
かつての百貨店にはデザイナーがいたし、オーダーメイドを受け付けていた。当然、素材の仕入れルートも持っていたし、傘下の縫製工場も所有していた。しかし、現在の百貨店は売場を貸しているだけの不動産ビジネスが中心であり、既に服を作るノウハウは失っている。
百貨店が受注しても、伝票を通しているだけで、実際には、ユニフォームアパレル、スポーツアパレル、商社等が制作している。ユニフォームは利権ビジネスなのだ。
2.欧米の公共デザイン
欧米各国のユニフォームは、著名なクリエイティブディレクター(デザイナー)に委託されることが多い。全体をプロデュースする個人を設定しないと、プロジェクトがまとまらないからだ。全てのクリエイティブな要素を一人の個人の目で管理することで統一感が生れるのである。これを会議で決めるのは難しい。会議にかけるとどうしても平均的な意見にまとまってしまうからだ。
それでは、どのように特定のクリエイティブディレクターを選定しているのか。
日本では、デザイン分野では素人だが社会的地位の高い人が選定委員になることが多い。彼らは自分では選定できないので、広告代理店やコンサルタントの意見に従う。そして、特定の代理店や企業等の利益につながる人を選定する結果となる。
欧米はプロの評論家、批評家が存在する。常にコレクションをチェックし、評論することを仕事にしている人だ。そして、コレクションでは、ランキングが付けられることも多い。ここでも、評論家、批評家等のプロが選定し、それを公表しているのである。
プロの評論家、批評家の存在。そして、ランキングの存在。それらの情報を伝えるメディアの存在と、それらの情報に常に触れている読者の存在。これらによって、公正な選択がなされるのである。
そして、依頼されるクリエイティブディレクターも公共デザインの仕事を名誉なことだと考えている。公共デザインの仕事は、クリエイティブディレクター個人の職歴として残るからだ。
この様な環境の中でコンペを行えば、クリエイティブディレクター、デザイナーは自分の名誉をかけて、質の高いデザインを応募するだろう。こうした仕組みが社会的に構築されているのである。
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3.国家のアイデンティティ
五輪開会式という世界各国と比較されるステージで、無難なデザインのユニフォームが登場する。日本人は、そのことをあまり気にしていないように見える。それは、日本人が日本のビジョン、日本のアイデンティティを共有できていないからではないか。
例えば、中国は米国を経済で追い抜き、世界の大国となり、共産主義で世界を支配しようと考えている。常に雅文を大国として印象づけ、自らの力を誇示している。
米国は、世界のリーダーであり、軍事、経済、金融の分野で世界をリードしているという自負を持っている。世界一に相応しい態度、ふるまいを目指しているのだ。
ヨーロッパ各国は、歴史や文化を背景としたアイデンティティを持っている。そういう意味で、フランスやイタリアは自国の文化をあらゆる場面で訴求している。勿論、五輪選手のユニフォームはその典型である。
それでは日本のアイデンティティは何か。どんなイメージを世界に訴求したいと考えているのか。
個人的な感想だが、「日本は国際的に目立つことを避けている」ように感じる。目立てば、いろいろと文句を言われる。あるいは、批判される。したがって、目立たず、実を取ればいい。つまり、儲ければいいと考えているのではないか。
目立ちたくないから、主張したくない。日本の文化や歴史の素晴らしさは分かっていても、それは自分たちだけの宝物にしておきたいと思っているのではないか。
勿論、世界から嫌われるのは嫌だ。だから、無難でいい。目立たず、主張せず、真面目に謙虚に生きていく。そんなイメージを感じるのだ。
4.ジャパン・アズ・オンリーワン
日本が鎖国をして、ひっそりと暮らしていくだけならば、それで良いのかもしれない。しかし、主張しないことは、存在しないことと同義である。こうした態度を続けていけば、日本は衰退するだろう。世界から忘れられ、国民も国に対して誇りが持てなくなる。
日本も昔は明確な目標を持っていた。それは、西欧先進国に追いつき、追い越すことだ。その目標は確かに達成された。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という書籍も刊行された。
しかし、その成功は長続きしなかった。為替をコントロールされ、欧米標準の法令を強制され、日本の強みを失った。
勝負に勝っても、ルールを変えられてしまう。そんな悲哀を何度も味わった結果、目立たずひっそりという路線になったのかもしれない。
ここで発想の転換が必要なのではないか。経済的な成長を追求するのではなく、むしろ、経済を成長させずに幸せになる道を探す。日本の歴史や文化を振り返れば、西欧とは異なる思想や価値観を見いだすことができる。
一神教ではなく多神教であること。神と悪魔の二元論にも与せず、むしろ、神と仏が両立する神仏混淆的な思想。自然は神が創造したものではなく、自然そのものが神であり、人間は自然の中で生かされているという自然観と人間観。
経済活動も競争原理に基づくものではなく、共存、共生の原理で発展させようと考える。そして最先端のハイテクと伝統的な職人仕事を共存させる。貨幣経済以前の物々交換、自給自足の思想等も、デジタル化によって新しく生まれ変わるかもしれない。そういう多元的な価値観を訴求するのだ。
そういう意味では、「ジャパン・アズ・オンリーワン」である。かつては、脱亜入欧を目指したが、今後は脱亜脱欧を目指す。そして、世界に日本文化、日本の美意識、日本の価値観を訴求していく。訴求といっても、西欧のように征服したり強制するのではない。西欧の価値観と共存させてもらう。
日本は世界の中で唯一のユニークな存在であり、世界はこの異質な国を保護すべきであることを訴求するのも良いのではないか。
そういう大きな戦略があれば、五輪ユニフォームも西欧の立体的な構造ではなく、きもののような平面の布を立体の人体に着付けるという構造になるかもしれない。
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編集後記「締めの都々逸」
「他人のことより 自分の文化 日本の足で 歩む道」
「西欧に追いつき追い越せ」という目標を達成した後、日本は目標を失っているように見えます。
ナンバーワンからオンリーワンへ。既に、日本はオンリーワンですが、それをもっと強調してもいいのではないか、と思っています。世界もそれを期待しているのではないか。
エコノミックアニマルと呼ばれていた高度経済成長時代、日本は世界の嫌われ者でした。バブル崩壊後、低成長時代になって、日本の評判は上がりました。だから、もう経済成長の目標は立てにくい。
中国は世界の工場で世界第1位の生産量を誇る商品が数多く存在しますが、日本はオンリーワンの数を競ったら良いのではないか、と思います。
そういう意味では、経済からアートへ。漫画も映画も音楽も小説も大切です。日本が独自の翻訳AIを開発して、日本語のコンテンツをどんどん翻訳して、海外に発信するプロジェクトも良いかもしれません。(坂口昌章)
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image by: Florian Froschmayer / Shutterstock.com