絶体絶命の独裁者。「プーチンが核シェルターに移動」が意味するもの

 

その際、必ずと言っていいほど持ち出されるTermがあります。

それは【国家安全保障】というTerm。

今回のウクライナへの軍事侵攻時も、2014年のクリミア半島併合を狙った際も、そしてジョージアの南オセチアの際も、プーチン大統領が用いた理由(大義名分?)が「ロシアの国家安全保障への脅威」と「同胞ロシア人の保護」でした。

そして今回、プーチン大統領が侵したのが、ウクライナにとっての国家安全保障ですが、この国家安全保障、進軍する側にとってはとても便利な理由に用いられてしまいがちです。

アメリカが主導してきたGlobal War on Terrorも、根本にある理由とされるのが、アメリカ合衆国の国家安全保障を脅かす対象の撃退ですし、この国家安全保障を“同盟国”にまで拡大するケースも多く見受けられます。旧ユーゴスラビアでの戦争におけるNATOという盾を立てて臨んだ軍事介入はその一例だったと思われますし、今回のStand with Ukraineを主導するのもその一例です(もちろん、バイデン大統領が長年抱くプーチン大統領への個人的な嫌悪感と、冷戦時の対ソ感情の影響は否めませんが)。

紛争調停官時代に、イラクのケースやコソボの調停を担当した際、アメリカ政府と協議するのですが、アメリカが介入の必要性について説くとき、必ず用いられたのがこの「国家安全保障への懸念」というtermでした。

話はずれますが、交渉の講義をする際、「一般化するのはよくないけど…」と前置きして紹介する例で、「どうやったらXX人に行動を取らせることが出来るか」というエピソードがありますが、XXにアメリカ人を当てはめる際、国家安全保障に対する危機や懸念というのが、ちょっと偏見がかかった例として用いられます。あながち冗談ではないなあとよく感じました。

この国家安全保障の概念は、米中対立の向こう岸にいる中国政府も、内政問題という理由と同じぐらいよく用います。台湾問題もそうですし、香港をめぐる一連の動きも、新疆ウイグル自治区に対する人権侵害問題も、正当化する際に用いる理由の一つが国家安全保障上の懸念への対応です(台湾の場合、One Chinaへの宿願という理由もありますが)。

今回、中国政府がウクライナ問題に対して微妙な態度を取っているのは、ウクライナを想ってのことではなく、「次は我が身」という感覚からか、ロシアに対する欧米および国際社会からの一方的な批判と制裁に反対するという“国家安全保障上の対応”とも言い換えられるでしょう。その上で、経済力と反欧米体制を盾にした全体主義的レジームの拡大に勤しんでいるとも言えます。

みんなそれぞれに「国家安全保障(National Security)」を盾に、自らの行動を正当化し、敵対するものを“それを侵すもの”として徹底的に叩きに行き、場合によっては攻撃します。

紛争調停官として、国家安全保障が頻繁に語られる場所に身を置いて仕事をしてきたのですが、常にこれには違和感がありまして、その違和感が今回のウクライナ紛争をめぐる一連の動きの中で爆発してしまった気がします。

先述の“非公式な協議の場”で話題が「国家安全保障」に移り、いかにも「それは仕方がない」といった論調になりだしたころ、我慢できなくなって、思わず「もう身勝手な国家安全保障論をやめにしませんか?実際のところ、一体どのような理由や背景で武力行使に至ったのか?を明らかにしないと、何も解決しませんよね」と言ってしまいました(汗)。

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