あらゆる核兵器を違法とし、その全廃を目的として起草・採択され、2021年1月に発効した核兵器禁止条約。しかし唯一の被爆国である我が国の政府は同条約を批准しておらず、先日行われた締約国会議にはオブザーバー参加すらしませんでした。この岸田政権のスタンスに異を唱えるのは、元全国紙社会部記者の新 恭さん。新さんは自身のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』で今回、「核なき世界」を掲げる岸田首相がこのような決定を下した理由を推測するとともに、会議の不参加により生じた首相の「本気度」への疑問と、原発の再稼働に積極的な首相の姿勢に対する批判的な見解を記しています。
この記事の著者・新恭さんのメルマガ
「核兵器のない世界」を唱える岸田首相の本気度が怪しい
岸田首相は被爆地・ヒロシマを選挙区とする政治家にふさわしく「核廃絶」を訴えてきた、ということに一応はなっている。
しかし、どこまで本気なのかは疑わしい。なぜかといえば、被爆国でありながら、日本政府は核兵器禁止条約に調印しようとせず、6月21日から3日間ウィーンで開催された初の締約国会議へのオブザーバー参加さえも見送ったからだ。
「核廃絶」は、「核抑止」の否定でもある。米国の“核の傘”に依存している以上、安全保障政策の根幹にかかわることだろう。米国に気を遣いもするだろう。それでも、参加しない手はなかったのではないか。
核兵器被害の悲惨な実態を被爆者とともに世界に向けて語り続ける。それは、唯一の被爆国としての責務であろう。
NATO加盟国のドイツやノルウェー、オランダでさえ、代表がオブザーバー出席し、批准できない自国の立場を説明している。岸田首相も、核兵器への向き合い方が安倍・菅政権と異なることを世界に示すチャンスだったはずなのに、むざむざ逃してしまった。
その代わりなのかどうか、岸田首相は日本の総理大臣として初めての行動を決断した。ことし8月にニューヨークの国連本部で開催されるNPT(核拡散防止条約)の再検討会議への出席だ。「核兵器のない世界」実現に向け、核保有国との「橋渡し役」をめざす、という。
核保有国が加わっていない核兵器禁止条約より、核保有国、非核保有国、合わせて190か国が参加するNPTのほうに実効性があるという理屈かもしれない。はたしてNPTだけで事足りるだろうか。
NPTは核兵器の不拡散、核軍縮の促進、原子力の平和利用を謳っている。が、「核軍縮」については努力目標に過ぎず、もっばら「核不拡散」のみが機能している。軍事的優位を保つため核保有国を増やしたくない核大国の“既得権”が優先されるのだ。
岸田首相の言う「橋渡し役」とは、米国など核保有国に核軍縮を働きかけるという意味なのだろうが、それこそ“実効性”に疑問がある。
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むしろ、二つの条約への岸田首相の対応ぶりは、自民党内の保守派、とりわけ安倍晋三元首相の意向に逆らわず、なおかつ被爆地からの反発も避けるという、連立方程式の「解」として導き出されたものではないだろうか。
周知の通り、ロシアのウクライナ侵攻後、安倍氏は核シェアリングの議論を呼びかけている。たとえばこの安倍発言。
「NATOでも例えば、ドイツ、ベルギー、オランダ、イタリアは核シェアリングをしている。自国に米国の核を置き、それを(航空機で)落としに行くのはそれぞれの国だ。…世界はどのように安全が守られているか、という現実について議論していくことをタブー視してはならない」(2月27日、フジテレビ「日曜報道THE PRIME」より)
つまり、安倍氏は米国からの借り物でいいから日本に核兵器を置きたいのだろう。はっきり言うと政治的リスクがあるため、「議論をタブー視してはならない」と言い換えているにすぎない
この国において、核兵器に関する議論がタブー視されてきたのは事実である。だが、それが異常かと言うと、そんなことはない。現実に犠牲者の遺族や被爆者がおり、核被害の悲惨さが伝えられてきた国の人々が、他と違う潔癖な平和観を抱くのはあたりまえである。
にもかかわらず、安倍発言を持ち上げる識者、政治家らは、核廃絶を願う人々に対し「平和ボケ」だの「お花畑論」などとからかって切り捨てる。10年近くにも及んだ安倍・菅政権を経て、今の自民党にもそういう議員が多くなった。
安倍氏はなにかと岸田首相の政策にちょっかいを出したがる。ことアベノミクスと安全保障政策に関する執念は尋常ではない。
6月17日の閣議で、防衛省の島田和久事務次官の退任が決まったが、その人事をめぐり、安倍氏と岸田首相との間でちょっとした“事件”があった。
島田氏は第2次安倍政権で首相秘書官を約6年半も務めた。いわば安倍氏の腹心であり、「防衛費のGDP比2%」の旗振り役と言われていた。安倍氏とその実弟である岸防衛大臣は2年間が慣例とされる次官の任期を延長するよう官邸に要請したが、聞き入れられなかった。
産経新聞は、安倍氏が岸田首相を議員会館に呼びつけて交渉したときの模様を、次のように書いている。
16日午後1時半ごろ、安倍氏は議員会館の自室で首相と向き合っていた。防衛政策全般について意見交換する中で安倍氏は島田氏退任人事の再考を促したが、首相の答えは「ノー」だった。今回の人事について首相は周囲に「もう決まっていることだ」と漏らした。
人事にまで安倍氏の口出しは受けないという岸田首相の意地が感じられる一幕だ。
しかし、それも裏を返せば、ここまで安倍氏の言いなりになってきているんだという心情が噴出したと受け取ることもできよう。次官人事に防衛政策の違いが出たというより、防衛予算や核への対応で安倍氏とさしたる違いがないからこそ、せめて人事は安倍色をなくしたかったとは言えないだろうか。
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最初に書いたように、そもそも、岸田首相の「核廃絶」本気度はすこぶる怪しい。『核兵器のない世界へ 勇気ある平和国家の志』なる著書がよく読まれていると聞くが、それなら「核」についての態度をもっと鮮明にすべきではないか。たとえば、原発に対する姿勢だ。
実のところ、岸田首相は原発再稼働に積極的なのである。5月13日、日本テレビの番組で「原発については安全性を前提とした再稼働。これはしっかり進めていかなければならない」と述べている。
福島第一原発の事故は、原発の電源が切れただけで、時間、空間をこえた放射能の無限リスクにつながるという戦慄すべき事実を、人類に突きつけた。原子力が低コストというのはウソで、捨てる場所さえない核のゴミが地球にたまり続けることもよくわかった。
それでも、日本政府が原発にこだわるのはなぜなのか。原発の技術はいつでも核兵器製造に転用できるからではないのだろうか。
2011年8月16日、テレビ朝日の「報道ステーション」に出演した当時の自民党政調会長、石破茂氏は次のように語った。
「日本以外のすべての国では、原発は核政策とセットだ。核兵器を持つべきではないが、日本が核爆弾をつくろうと思えば1年以内につくれるというのが一つの抑止力となる。それを放棄していいのかどうかを突き詰める議論が必要だ」
石破氏は軍事オタクといわれるが、極端にタカ派というイメージはない。それでも原発を持つ意味を、いつでも核爆弾製造できるという「抑止力」に求めようとしていた。これは本音の部分で自民党に伝統的に根付いている感覚ではないか。岸田首相も例外ではないだろう。
そもそも、日本に核兵器があれば、中国から攻撃されるリスクが減るというのは本当だろうか。
日本が核兵器の製造に取りかかったとなれば、中国は黙っていないだろう。「中国の安全保障に対する脅威を取り除く」と言って攻撃を仕掛けてくる恐れすらある。
たとえ、日本が核兵器を製造できたとしても、中国のその数量に追いつくはずはなく、万が一撃ち合った場合には、面積の狭い日本はあっという間に破壊されるだろう。核武装による平和という発想こそ「お花畑」的と言わざるを得ない。
8月のNPT会議に出席して、岸田首相はどのような発言をし、どのように行動するつもりなのだろうか。「核兵器のない世界へ」という岸田首相の理念がホンモノかどうかが問われている。
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image by: 首相官邸