ギフテッド支援を検討する日本に“天才の子供”が少ない当然の理由

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個人的には、才能ある子が能力を発揮できる社会であってほしいと願っているので、少々前のめりでも「学ぶのって楽しい!もっともっと知りたい」と知の遊びに没頭できる環境を進めて欲しいです。

しかし、有識者会議が子どもたちに実施したアンケートの自由回答には、社会に根付く日本の「大人たちの問題」もちらほら。

  • 「教科書の内容はすべて理解していたが、自分のレベルに合わせた勉強をすることはまったく許されなかった。周囲に合わせろと叱られ、授業中は常に暇を持て余していた」
  • 「発言をすると授業の雰囲気を壊してしまい、申し訳なく感じてしまうので、わからないふりをしなければなりません」
  • 「学校で習っていない解法をテストなどで回答すると×にされる事が嫌だった。(2+2+2+2 を 2×4 にすると不正解にされる)」
  • 「周りに合わせる必要があると感じ、知識を頭に入れることさえも恐怖に感じるようになった。結果、高校受験で失敗。高校では新しい刺激が全くなく、学習の意欲が明らかに低下した」
  • 「何をやっても教師から手本や代表にされ、燃え尽き症候群になった。疲れて不登校になったときに見放さないで欲しかった」

などなど、日本の教育のあり方というか、先生=大人の問題点が浮き彫りになりました。

いわずもがな日本には「普通がいちばん」という、暗黙のルールが存在します。私自身、13歳の時に米国から帰国した際、「普通がいちばん」というルールに混乱し、それは私にとって拷問でした。

米国では人と違うことが前提で社会が成立し、学校では常に「自分MAX」になる教育を受けてきました。

勉強好きな子は勉強し、かけっこの速い子は陸上チームに入り、おませな女の子たちはリップを塗り髪の毛をブリーチし、誰もが「最高の自分」を目指しました。

「自分の意見を言いなさい」と教育されてきたのに、日本では黙っている方が安全。手を挙げて意見を言うと、ダサい、でしゃばり、目立ちたがりと揶揄されます。

普通がいちばんの日本では「みんなと一緒」じゃないと嫌われてしまうのです。

得意な能力などない平凡な私でさえ、日本の学校は息苦しかったのですから、“ギフテッド“の子が自ら「自分の能力」を押さえ込んしまうのはごくごく自然なこと。

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