そこで面白かったのは、「第三帝国の復権」ではなく、その前の「第二帝国」の亡霊が使われたということです。荒唐無稽は荒唐無稽なのですが、確かにナチ復権では、国内外の多くの人は「全く同意しないし、かえって反発されるだけ」ですし、自分たちとしても気乗りはしないでしょう。そこで、ホーエンツォレルン家の第二帝国という亡霊を持ち出すというのが、ファンタジーとしてごく少数であり、成立するというのは興味深いと思いました。
日本の場合ですと、亡くなった安倍晋三などもそうですが、「戦後政治の嘘くささ」を否定しようとすると、どういうわけか「東條路線の名誉回復」みたいな話になるわけです。勿論、これはUN戦後体制への挑戦であり、世界秩序から見て許されないということでは、ナチと同格の問題です。ですが、その「東條の南進論擁護論」というのは、日米同盟を強く支える「親米保守」がその主体ということから、当の相手国であるアメリカから「国内向けのファンタジーで人畜無害」という「暗黙のお目こぼし」を得ているわけです。
このインチキで怠惰な構図に「親米保守」は慣れ切っているわけですが、実は、この路線は国内的にはそんなに支持はないし、今回の事件で露呈したように、もしかしたら壷関係の陰謀であって、「日米離反、日韓離反」の調略に引っかかっているだけかもしれません。
2023年はこの点を良く考える必要があると思います。1つは、とにかく「東條南進論の名誉回復」というのは、デメリットが多すぎるということです。岸一族の亡霊が山口政界から更に一段と希薄になることでもあり、保守派の漫談・講談としても、いい加減に止めたらと思うのです。2つ目は、では超保守的なファンタジーとしては、どの辺をネタにするべきかということです。
一気に遡って徳川宗家復活論まで行くと、完全に漫画になってしまいます。少なくとも、藩閥では古すぎます。かといって、大正デモクラシーだと、もう「21箇条」とかダークサイドに入っているので、メリットは薄い感じです。児玉源太郎と山本権兵衛あたりの考えた「日本」あたりで「ギリギリ」、それ以前だとリアリティはないし、以後だと今でも「ダークサイドの亡霊」として物議を醸してしまうように思います。
そうなると、結局のところ「日本の国のかたち」ということでは、戦前のある時点を「原点」とした「原理主義」というのは、成り立たない感じが濃厚です。やはり戦後のある時点の「国のかたち」を「原像=思考の起点」として固定していくことが必要ではないかと思うのです。
例えば、専守防衛にしても、逃げではなく非常に厳格な戦略戦術として確立するのです。とにかく相手に先に撃たせる。そして開戦責任を100%相手に押し付ける。その一方で、第一撃の被害を極小化する。更に第二撃を許さないように必要な無害化を実施する。その際には、先方の民間人被害を極小化するし、その極小化努力を外交上、PR上最大化し、万が一人間の盾を使用されてもその意図込みで暴露できるよう諜報戦、広報合戦における完勝を徹底する。専守防衛論というのは、そのような軍略であり、そこをどう練度を高めて実施するのか、これは来たるべき時代には非常に重要になって来ると思います。
話題が少しズレますが、今後20年前後の期間に、英国でも日本でも次回の皇位承継という手続きが必要になります。その際には、承継をすることで君主制度がより動揺してゆくようではいけません。反対に、「中の人」の訓育と、周囲の専門職のスキルアップを通じて、制度の運用向上をどうやって行くのか、この際、日英で共同研究をしたらとも思います。そうでないと、次世代、次次世代への承継というのは、相当に煮詰まった話になるからです。
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