子供に悪影響を与える「毒親」の存在。もし自分がそうなっていたら、と考えたことはありますか? 今回の無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』では、著者の真井花さんが毒親の特徴と、毒親にならないための人生のヒントを語っています。
毒親と言われたら
さて、本日は「どうしたらいいの?」なお話。
- 毒親
という言葉もすっかり定着しましたね。いいんだか悪いんだか分かりませんがw
今回テーマにしたいのは、
- 毒親と言われた親側
の方です。読者さんの中には、子育て真っ最中の人も終わった方もいらっしゃるでしょう。そして、残念なのことに、その全ての親子関係が良好で健全なものとは
- 限らない( ̄△ ̄)
と思うんですよ。
で、みなさんにお尋ねしますが
- 自分は毒親かもと思ったことはありますか?
…そうかもしれないと思われるなら、毒親じゃナイですよ、きっと。自分のマズさを客観的に見つめられず自分にとって不都合な評価をできないような人が毒親になるんですよ。
毒親っていう言葉は、
- 子供が親を非難する言葉
です。ところが、怒りと恨みのこもったこの激しい言葉に対応する親側の認識は驚くほど薄い。親側が
- 毒親だと自覚することはほどんどない
そうです。無意識で善意のカタマリなんですよ。ソコがこの問題の根深さを物語っていますよね。
そして、毒親だと子供から非難された親の多くは
- 突然「毒親だ」と詰られて驚いた
- そういえば、そんなこともあったかもしれない
- それは子供のこと(しつけ・進路など)を考えてのこと
- ちゃんと生活の面倒はみたし、子供を愛している
- 今後どうすればいいんだろう
こんな感じだそうです。まあ、自分は無自覚なわけですから、そりゃこういう反応になっちゃいますよね。
私は、この「そういえば」ってヤツがミソだと思っています。親本人に暴力や暴言、強制の記憶があるなら、おそらく
- 実際にはその数倍(>_<)
だろうと思いますし、それを受けた子供の心の傷は
- 親が想像する数倍
でしょう。
で、にもかかわらず「ちゃんと生活の面倒はみた」「子供を愛している」と言うんですが、これはおそらく
- 暴言や暴力という損害より
- 生活費や世話という利得の方が
- 子供にとって大きい
ということでしょう。もっと突っ込むなら、
- 利得の方が大きいんだから、毒親じゃないはず
と言いたいんじゃないかと邪推しています。
毒親だ!と子供から言われた親のお話でしたね。
毒親は、大抵自分では自覚がなくむしろ善意で子供に接しているので始末が悪い。まさに
- 私が毒親?!(*゚Д゚) え???
状態なんですよ。
そして、子供から謗られると、その青天の霹靂に驚いた後
- 「そういえば」と思い当たることがある
らしいんですね。いや、やった側が覚えているくらいなら、実際にはその数倍の悪行があるはずなんじゃないでしょうかね。
ここで、親側の気持ちや状況を考えてみたいんです。
何故、暴力や暴言、強制や無視などをしたんでしょうか。それが悪いこと、少なくともいいことではないことくらい分かるはずなのに、やってしまったのは
- 子供のためを思って
いたからです。ホントにそう思っていたんだと思いますよ。
殴りながら、お前なんかと怒鳴りながら、選んでやった学校に進学しろとかあんなヤツと結婚したらダメだとか言いながら、それは一般的には悪いことだと知っているのに、自分の行為だけはしつけとして愛として許されると考えている。
信じられないことですが。
私はここに、たまらない悲しさと
- 例外者としての歪んだ特権意識
を感じるんですよね。
例外者とは、カンタンに言えば、「自分は不利益を被ったんだから(例外的に)特権が与えられるのは当然だ」と思い込んでいる人のことで、心理学用語です。
例外者について読みやすい記事があるので挙げておきます↓
毒親の場合、おそらく
- この子のために、キャリアも自由も楽しみも諦めているんだから
- この子が私を尊重してくれるのは当然だ
と考えているのではないでしょうか。自分の被った不利益…別の言い方をすれば、
- 人生での損失はこの子供のせい
であり、でもそれはさすがに言えないので(言うマジ毒親もいるけど)、しつけと愛の名の元に
- 自分を尊重することを異常に激しく求める
ということです。結局、自分の被った不利益が我慢ならないんでしょう。誰かに罰を与えたいというか、どうしてくれるんだと文句を言いたいというか。社会でも夫でもいいのかもしれませんが一番言いやすい相手に言っているんでしょう。
そうだとすると、愛とかしつけとかは、言い訳にすぎませんね。
毒親だ!と子供から言われた親側のお話をしてきましたね。
「子供のためを思って」といいながら、例外者として自分を尊重することを異常に求める…要求するのではないかというお話でしたね。
人生での叶わなかった夢や未来を損失ととらえ、それを子供のせいにしているために
- この子のために、キャリアも自由も楽しみも諦めているんだから
- この子が私を尊重してくれるのは当然だ
と考えているように思われます。あ、私の考えですよ。そうじゃない理由や原因の毒親もいると思いますが。
もしこの推論が当たっているなら、毒親にならないためには、
- 自分の人生を充実させること
ということになります。叶わなかったことや諦めたことがたくさんあると、その損失に目がいってしまいますが、充実していれば、そうはならないはずです。尊重を要求すべき理由がなくなっちゃうからです。
たしかに実感としても、自分の人生に折り合いをつけて幸せそうな人は毒親にならないんじゃないかと思えますね。
ま、もっとも、これは親側の人生をどうするかの問題です。
他方、子供に対しては、親が
- やれることはもうなにもない
と思います。残念ですが。
親に向かって毒親と詰るほどになるまでには、子供には子供で相当の葛藤があったはずです。恩義にも愛情も執着もあるのに、
- それを上回るほどの怒りと無念がなければ
自分の親を毒親だなどと言えませんよ。
別の言い方をすれば、親がいう
- (ちょっとした)暴言暴力<育ててやった恩義
は成立せず、子供にとっては
- (絶大な)暴力暴言>育ててもらった恩義
だということです。
むしろ毒親と謗ることで、親から完全に独立し、自分の人生を歩き出そうとしているのです。
その意味で、親からの
- 謝罪は、状況による
でしょう。自分のしたことや相手がどれほど傷ついたかを自覚して心から謝罪できるならともかく、そうでないならしても意味がないんじゃないでしょうか。
もはや静観し、自分から離れていく子供を
- 黙って見送る
しかないのではないかと思います。
これからは子供と関係のない人生を、自分の力で充実させていくことです。子供から完全に離れた人生を送ることで、初めて
- 子供との距離ができる
はずです。そうしてこそ、自分がやったことが小さい子供にとってどんな衝撃だったのかも反省し始められるのではないでしょうか。
決して呼ばれたくない名、毒親。そこまで子供を追い詰めたことを振り返り、子供から静かに離れましょう。どれほど愛していても。
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