以前は自分の力を信じてきましたから、小説家になれたのも、私に才能があったからだとか、努力したからだ、運があるんだとか、自分というものに対して、非常に自信を持ってました。
だけど、そんなものは何もないんでね。
結局、それはみなさまに、そういうふうにさしてもらったんだって思えるようになった。
いま、とても不景気なのに私の本が売れるのも、それは私の力じゃなく、そういうふうにしてくれるんだって思えます。
だから、私は小説を書いていますが、もし、それがいけないなら、私がジタバタしないでも、仏、もしくは超越者が私の頭を破壊するとか、腕を折るとか、自然に向こうからしてくれると思うんです。だから、ちっともジタバタしない。
私は今東光先生とのご縁で天台宗に入ったのですが、今先生をすごい人だなと思ったのは晩年、ガンだと自覚してからも立派でしてね。ちっともあわてなかったです。
「自分のおいしいところを食べて太りやがったんだから、手術したガンを持ってこい。焼鳥にして食ってやる」って、冗談をいって。
我々仏教者は生死を見極めるというのが根源なんですが、今先生は本当に生死を見極めていたと思います。
一期一会という言葉がありますが、私は日常、そう思っていますよ。
例えば、きょう、私たちがそれこそなんの因縁だか、お会いしましたでしょ。
だけどこれで別れた後、どうなるかわからないでしょ。
だから、私たちは会って別れた瞬間、それは永別だと思うのです、間違いないんです。
だけど誰もそう思わないのね。
私は講演に行くと、よく奥さんたちに「亭主が会社に行くときに帰ってくると思うな」というんですよ。
そう思うと、行ってらっしゃいって言葉が違うっていうんですよ。
必ず帰ってくると思うから、疎かにするんで、もう会えないんじゃないかと思えば、その時その時、一生懸命に愛しますよ。
そうでしょ。そういうふうに考えてほしいって、講演するんです。
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