歴史の授業では絶対に教えてくれない、“好色”の秀吉「もう一つの統一事業」

Osaka,,Japan,-,September,25,2016:,The,Statue,Of,Toyotomi
 

豊臣秀吉といえば、天下統一を果たした戦国武将ですよね。歴史の授業でも必ず出てくる彼の功績や統一事業ですが、メルマガ『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ』著者の早見俊さんは、秀吉の「授業では絶対に習わないもう一つの統一事業」について暴露しています。

授業では習わない秀吉の統一事業

ご存じ、天下統一を果たした豊臣秀吉は大規模な検地をおこないました。有名な、「太閤検地」です。今日、江戸時代の大名ばかりか戦国大名の領国の大きさも、「石」で表されます。加賀百万石前田家とか仙台六十万石伊達家などと言いますね。

当たり前のように何万石と言いますが、領国を石高で表すようになったのは、「太閤検地」からでした。それ以前は、「石」で表す領主もいたのですが、「貫」が多かったのです。「貫」は銭の単位です。千文で一貫でした。江戸幕府が通貨を鋳造、発行するまで日本は中国から渡来する銭が流通していました。

ところで、秀吉は何故、「貫」から「石」に領国表記を統一したのでしょう。

それは、銭の流通量が日本各地で差があったからです。畿内や東海地方は流通量が多く、一貫で米二石しか買えませんでした。しかし、関東や奥羽は流通量が少ない為、銭の価値が高く、一貫で四石から十二石の米が買えたのです。また、流通する銭の種類も地方で異なりました。

秀吉はこれでは不便だと、「貫」から、「石」に統一したのです。統一に当たって、耕作地の面積、米の収穫高、所有者、耕作者を明白にして名簿にしました。また、米の容量を計る枡を統一しました。当時は地方によって一合枡、一升枡の大きさが異なっていたのです。秀吉は京都で使われていた京枡に統一します。この京枡が今日でも使用されていますね。

秀吉は、「太閤検地」を通じて日本全国の耕作地面積、米の収穫高を把握、年貢を確実にとれるようにしました。そして、全国の大名の力を把握したのです。

何の為でしょう。

もちろん、「唐入り」つまり明国制覇の賦役を石高に応じて課す為でした。秀吉は全国を平定し、豊臣政権の下に一つにまとめると共に日本中の国を石高表記に統一したのです。

と、上記のことは歴史の時間に習う秀吉の天下統一事業です。

わざわざ筆者が記すまでもないことでした。では、授業では習わない秀吉の統一事業を記します。

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