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「復讐心」こそが火種。どれだけ文明が発達しても世界から「戦争」が無くならない理由

ひとたび起これば多くの一般市民が犠牲になり、国土も荒廃するばかりの戦争。現在も世界の至る所で戦火が上がっていますが、そもそもなぜ戦争や紛争はなくなることがないのでしょうか。今回の『きっこのメルマガ』では人気ブロガーのきっこさんが、「どんなに文明が発達しても世界から戦争がなくならないのは人間が“復讐”が好きだから」といういう仮説を立て、古今東西のさまざまな「復讐譚」を紹介しつつその立証を試行。さらに小説や映画などの「復讐劇」と現実に相手に「復讐」することはまったくの別物とした上で、「復讐」の心こそが「戦争の種火」と結論づけています。

※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです

復讐するは我にあり

ロシアとウクライナの戦争は、今に始まったわけじゃなく、その根っこは30年以上も前の旧ソ連の崩壊にまでさかのぼる。イスラエルとパレスチナ(ガザ地区)の戦争も、今に始まったわけじゃなく、その根っこは100年以上も前にさかのぼる。そして、どちらの戦争も、これまで幾度となく繰り返されて来た。つまり、どちらの戦争にも、ひと言じゃ説明できない長くて重たい「憎しみの連鎖」が底流してるわけだ。

昨年10月に口火を切ったハマスの一斉攻撃も、イスラエル側は「ハマスが先に手を出した」と言うけど、ハマスにしてみれば、これまでさんざん市民を虐殺されて来たことへの復讐であり、悪いのは自分たちの土地に勝手に国を造ったイスラエルだという認識だ。そして、この100年以上にも及ぶ「憎しみの連鎖」が、どちらの国も自分たちの攻撃を「復讐」として正当化する基盤となってる。

そこであたしは、どんなに文明が発達しても世界から戦争がなくならないのは、古今東西、人間は「復讐」が好きだからだ、という仮説を立ててみた。あたしの大好きな『ギリシャ神話』は、数々の復讐劇によって成り立ってるし、これまたあたしの大好きなシェイクスピアにしても、四大悲劇の中の『ハムレット』と『マクベス』は絵に描いたような復讐劇だ。一般的に復讐劇とは見られてない『リア王』と『オセロ』にしても、復讐の要素が散りばめられてる。他にも『ジュリアス・シーザー』や『タイタス・アンドロニカス』なども復讐劇だ。

ルネサンス時代のヨーロッパ各国では、「悲劇」の中でも復讐の要素を含んだ戯曲を「復讐悲劇」と呼び、数多くの作品が上演されていた。こうした作品では善と悪とが明確に描き分けてあるため、「復讐=勧善懲悪」であり、復讐が果たされると観客は拍手を送った。そして、復讐を果たした主人公が悲しい末路を迎えると、今度は涙を流した。どんなに残酷な内容でもオペラや演劇による「復讐劇」は、大衆の娯楽だったのだ。

日本でも、奈良時代に成立した『古事記』や『日本書紀』には、史実なのか創作なのかは置いといて、文献上で日本最古の復讐劇「眉輪王(まよわのおおきみ)の変」についての顛末が記されてる。「眉輪王」は『日本書紀』での表記で、『古事記』だと同じ読みで「目弱王」と表記されてるけど、この「眉輪王」は、仁徳(にんとく)天皇の皇子の大草香皇子(おおくさかのみこ)と、履中(りちゅう)天皇の皇女の中蒂姫命(なかしひめのみこと)の間に生まれた男の子だ。

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で、安康(あんこう)天皇3年(456年)のこと、当時の安康天皇が、この人妻である中蒂姫命に横恋慕しちゃう。当時の天皇は『ギリシャ神話』のゼウスみたいな絶対権力者だから、人妻だろうがヨソの国の姫だろうが美少年だろうがお構いなし。欲しいものはどんな手段を使っても手に入れる。それで、大草香皇子を殺して中蒂姫命を自分の妻、つまり皇后にしちゃう。当然、子どもの眉輪王も着いてくる。でも、眉輪王は幼かったから、安康天皇を自分の父だと思い込んで成長する。

そんなある日のこと、安康天皇が自分の本当の父を殺して、母を略奪して皇后にしたという事実を知ってしまう。当時7歳の眉輪王は怒りに燃え、寝ていた安康天皇の胸に剣を突き立てて殺してしまった。眉輪王としては、自分の父の仇を討っただけなんだけど、当時の状況的には「皇后の連れ子が皇位を狙って天皇を暗殺した」と見られちゃう。そして眉輪王は、安康天皇の配下の者たちに、『古事記』だと刺殺され、『日本書紀』だと焼き殺される。眉輪王は殺される前に「私は皇位を狙ったわけではない!父の仇を討っただけだ!」と釈明してる。つまり、完全なる復讐劇だったわけだ。

でも「復讐」の歴史は遥かに古い。昭和38年(1963年)から翌年にかけて、5人を殺害した「西口彰事件」を題材にした佐木隆三の直木賞受賞作『復讐するは我にあり』は、テレビドラマや映画にもなったので題名くらいは知ってる人も多いと思う。これは、犯人の西口彰が熱心なクリスチャンだったという事実から、『新約聖書』の中の文言をタイトルにしたものだ。『新約聖書』の「ローマ人への手紙」の中に、次の一節がある。

「愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。録して『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』とあり。」

つまり「誰かからどれほど酷いことをされても、決して自分で復讐してはいけない。神様が『復讐は私がやるから』と言ってくださっている」という教えだ。今の世界を見渡しても、ロシアのプーチンにもイスラエルのネタニヤフにも天罰が下ってないので、これは小池百合子の公約「12のゼロ」と同じく「やるやる詐欺」っぽいけど、「憎しみの連鎖」を生み出さないための方便としては百点満点の教えと言える。

…そんなわけで、江戸時代の庶民の楽しみの1つ、歌舞伎や浄瑠璃を始めとしたお芝居の人気の演目と言えば、心中や刃傷沙汰などの男女の色恋モノと、やっぱり復讐劇が二大看板だった。日本の「復讐」と言えば、明治以降は「敵討ち(かたきうち)」という言葉が使われるようになったけど、江戸時代までは「仇討ち(あだうち)」と呼ばれてて、幕府も制度化してた。武士が自分の主君の仇を討ったり、娘が父の仇を討ったり、庶民はこういうストーリーが大好きだった。

恐ろしい怪談にしても、『番町皿屋敷』しかり『四谷怪談』しかり、理不尽に殺された女が幽霊になって復讐するという話だ。落語にも『花見の仇討』『宿屋の仇討』『高田馬場』など「仇討ち」を面白おかしく題材にした演目がいろいろあるし、中には可愛がってた黒猫が主人の仇討ちをするという『猫定(ねこさだ)』なんていう変わり種の噺もある。

池波正太郎の小説『仕掛人・藤枝梅安』を原作としたテレビドラマ『必殺仕掛人』や『必殺仕置人』のシリーズは、自分で復讐する力のない市井の人々が、自分の代わりに「暗殺のプロ」に金銭で復讐を依頼するというストーリーだ。小説でもドラマでも、相手がどれほどの悪党なのか、どれだけ酷いことをしたのかがタップリと前フリされてるから、最後に「暗殺のプロ」たちがトドメを刺した瞬間、あたしたちは胸がスカッとする。殺人なのに。

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映画でも『マッドマックス』や『レオン』や『キル・ビル』や『ジョン・ウィック』を始め、復讐劇は山のようにある。最近だと、男2人にレイプされた上に崖から突き落とされた美女が、ボロボロになりながら男2人を追い詰めて殺すという壮絶な復讐劇、その名も『リベンジ』という映画もあった。さかのぼれば、あたしが生まれる前の西部劇も、その多くは復讐劇だし、それは邦画にも言える。こないだ『大怪獣ガメラ』の流れから軽く触れた『大魔神』だって、全体のストーリーは復讐劇だ。

…ってなわけで、チョチョンチョンチョンチョ~~~ン!(拍子木の音)

時は寛永7年(1630年)、第3代将軍徳川家光の時代、岡山藩主の池田忠雄(いけだ ただかつ)は、別に男色一直線てわけでもなかったけど、美少年には目がなくて、渡辺源太夫っていう17歳の美少年を囲ってた。これを俗に「寵童(ちょうどう)」って言うんだけど、ようするに、夜の相手をさせるために囲ってる少年というわけで、戦国時代から江戸時代の中期にかけては普通のことだった。

以前、谷崎潤一郎の短編『二人の稚児』を取り上げた時に詳しく書いたけど、古くは寺院などの少年修行僧のことを「稚児(ちご)」と呼んでた。でも、女人禁制の寺院の僧侶たちは、そんな少年修行僧の中から自分の好みの少年を選び、夜の相手をさせるようになった。そのうち、元服前の剃髪してない少年をスカウトして来て、女装させて夜の相手をさせるようになった。そんな流れから「男色相手の少年」のことを「稚児」と呼ぶようになった。

この寺院における「稚児」に当たるのが、武家の場合は「寵童」というわけだ。でも、武家は別に女人禁制じゃないから、将軍の多くは正室(妻)だけでなく側室(愛人)も抱えてた。じゃあ何で「寵童」が必要なのかというと、いくら将軍と言えども戦に妻や愛人を同伴するわけには行かない。そこで将軍の多くは、自分のお気に入りの美少年を「小姓(こしょう)」として雇ってた。小姓とは戦地などの出先で将軍の身の回りの世話をする家来のことだ。

戦国時代から江戸時代中期にかけて多くの武将は、正室や側室とは別に、お気に入りの美少年を小姓の名目で雇い、寵童として囲ってるのが普通だった。武田信玄の囲ってた高坂弾正(こうさか だんじょう)や、織田信長の囲ってた森蘭丸(もり らんまる)なんかが有名だと思う。明治時代になって西洋文化が入って来るまでは、日本では男性が男性に身体を売る男娼は当たり前で、歌舞伎の女形も客に身体を売っていた。一般の男娼は「陰間(かげま)」と呼ばれ、町には男娼を専門に扱う「陰間茶屋」もあった。

…そんなわけで、岡山藩主の池田忠雄は、寵童の渡辺源太夫を溺愛してた。それは、女性以上に美しい美少年だったからだ。だけど、源太夫はあまりにも美しかったために、もともとソッチのケがあった武士からも目をつけられまくってた。その中の1人が、池田忠雄の部下、岡山藩士の河合又五郎だった。又五郎はまだ19歳だったんだけど、源太夫の美しさにひと目惚れしちゃって、来る日も来る日も源太夫のことを思って悶々としてた。

今で言えば、新入社員が社長の愛人を好きになっちゃったみたいな感じで、それも相手が同性だったんだから、ビートルズ的にはなかなかのハード・デイズ・ナイトだっただろう。だけど、どうしてもガマンできなくなった又五郎は、2月14日の「バレンタインデー」でもなく、3月14日の「ホワイトデー」でもなく、寛永7年7月11日の「セブンイレブンの日」に、自分の立場も身分も考えずに、とうとう源太夫に告白しちゃったのだ!それも激しく!

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たとえば「ボクは君のことを好きになってしまった。もちろん君が藩主の池田様の大切な人だってことは分かってる。でも、どうしても君のことが好きなんだ。どうか一度だけでも、池田様に見つからないようにデートしてくれないか?」的な感じの告白ならオオゴトにならずに済んだかもしれない。それなのに、嗚呼それなのに、それなのに…、完全に舞い上がってた又五郎は「オレはお前のことが好きだーー!!オレのものになってくれーー!!」って叫んで、その場で押し倒しちゃったのだ!

こんなことされたら、美少年に限らず、男でも女でも猫でも犬でも誰だって拒絶しちゃうよね。当然、源太夫も、襲い掛かってきた又五郎のことを拒絶した。そしたら、頭に血が上ってた又五郎は、自分の強引なアプローチに問題があったってことが理解できずに、自分の切ない純愛を拒絶されたって思い込んじゃって、ナナナナナント!その場で刀を抜いて源太夫を斬り殺しちゃったのだ!

テレビで見てるだけのアイドルや女子アナに一方的に恋をして、あまりにも好きになりすぎて、相手が自分の存在すら知らないってことが分からずに、まるで恋人みたいな口調のメールや手紙を送り続けた上、どこかで待ち伏せして強硬手段に出ちゃう異常で危ないファン、これとおんなじだ。

…そんなわけで、自分の会社の社長の愛人に横恋慕した挙句、自分の激しい愛を拒絶されて叩き斬っちゃった又五郎は、そのまま会社にいられるわけがない。百歩ゆずっても切腹、普通なら拷問の果ての死罪だ。だから当然の流れとして、又五郎は大慌てで岡山藩を脱藩してバックレた。又五郎が逃げた先は、江戸の旗本の安藤次右衛門のとこだった。

でも、あしたのジョー…じゃなくて、ハタ坊だじょ~・・じゃなくて、オダギリジョー…じゃなくて、案の定、又五郎の潜伏先は秒でバレちゃった。愛する源太夫を殺されて怒り心頭の池田忠雄は、又五郎の身柄を渡すようにと安藤次右衛門に要求した。だけど安藤次右衛門は、その要求を突っぱねた。そして、これが大名(池田忠雄)と旗本(安藤次右衛門)とのメンツを懸けた争いに発展しちゃった。

幕府が間に入って収めようとしたんだけど、両者の意地の張り合いは加熱するばかり…と思ったのもトコノマ、この大きくなりすぎた争いの渦中で、誰よりも一番カッカと頭に血が上ってた池田忠雄が、31歳の若さで天然痘で亡くなっちゃったのだ。源太夫が殺されてから2年後、寛永9年(1632年)4月3日のことだった。

普通に考えたら、一番怒ってた池田忠雄が亡くなっちゃったんだから、この争いは自然にフェードアウトしそうなもんだけど、ところがドッコイ、そうも行かなかった。何でかって言うと、あまりにも源太夫のことを溺愛してた池田忠雄は、死の間際、自分の家臣たちに向かって、こんな言葉を遺したからだ。

「どんな手段を使っても、あの憎き又五郎の首を我が墓前に捧げよ!」

藩主にこんな遺言を遺されちゃった日にゃあ…って猫みたいな言い方をしちゃったけど、周りの者はスルーできないだろう。それで、殺された源太夫の兄、渡辺数馬が仇討ちをすることになった。普通、仇討ちってのは、藩主を殺された藩士だったり、親を殺された息子だったり、兄を殺された弟だったりってふうに、目上の者を殺された場合に行なうものだ。

何でかって言うと、この仇討ちっていうシステムは、目上の者へのリスペクトが基本の中国の「儒教」からの流れだからだ。中国の『周礼』や『礼記』などの古典には「仇討ちこそが一族、家臣の義務である」って書かれてる。つまり、自分の親や主人を殺された者は、その相手に復讐することが義務だったのだ。

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だから、この「弟の源太夫の仇を兄の数馬が討つ」というのは、ちょっと珍しいケースだった。でも、この場合は、一番怒ってた池田忠雄が病気で亡くなっちゃったことと、その池田忠雄が死の間際に又五郎への仇討ちを言い遺したってことで、又五郎は「殺された源太夫の仇」じゃなくて「池田忠雄の仇」という形になった。そして、源太夫の兄の渡辺数馬も池田忠雄の部下だったから、数馬的には「自分の主人の仇討ち」ってことになった。

そのため、数馬にはちゃんと幕府から「仇討ち免許状」が交付された。だけど、残念ながら数馬は、剣の腕前はカラッキシだった。それで、いろいろと考えた結果、数馬は自分の姉のダンナで、郡山藩の剣術指南役だった剣豪の荒木又右衛門に助太刀を依頼した。

父を殺された若い娘が、武士を相手に仇討ちをしても勝てるわけがない。そこで若い娘は、腕の立つ剣豪を雇い、自分の代わりに対決してもらい、若い娘は白装束と白いハチマキ姿で、動けなくなった相手の腹を最後に短刀で刺し、本懐を遂げるという例の時代劇の「あるあるパターン」とおんなじだ。

そして数馬は、荒木又右衛門と一緒に又五郎の行方を必死に捜し回り、池田忠雄が亡くなってから2年半後の寛永11年(1634年)11月、とうとう又五郎が奈良の旧郡山藩士の屋敷にかくまわれてるって情報を得る。だけど、又五郎のほうにも、自分の居場所が数馬たちの耳に入ったという情報が届いたため、又五郎はまた江戸へ逃げようとした。そこで、数馬たちは又五郎が江戸へ向かうルートを調べ、途中の伊賀国は上野の「鍵屋の辻(かぎやのつじ)」という伊勢街道と奈良街道との交差点で待ち伏せする作戦に出た。

ちなみに、この10年後に伊賀国に生まれたのが松尾芭蕉だ…なんてプチ情報も織り込みつつ、数馬チームは、剣豪の荒木又右衛門の他に、門弟の岩本孫右衛門、河合武右衛門という4人組の少数精鋭だった。一方、命を狙われてることが分かってた又五郎のほうは、又五郎の叔父で郡山藩の元剣術指南役の河合甚左衛門、妹のダンナで槍の名人の桜井半兵衛を始め、総勢11人という鉄壁のチームを組んでいた。

サッカーだったら数馬チームに勝ち目はない。だけど、これは仇討ち、それも隠れての待ち伏せだから、わずか4人の数馬チームにも勝機がある…ってなわけで、弟の源太夫が又五郎に殺されたのは寛永7年7月11日の「セブンイレブンの日」だったけど、兄の数馬が又五郎に仇討ちを仕掛けたのは、奇しくも日付けの「7」と「11」を逆にした寛永11年11月7日の早朝だった。

…そんなわけで、まさかここで待ち伏せされてるとは想像もせずに「鍵屋の辻」を通過しようとした又五郎の一行の前に、数馬が飛び出し、仇討ちであることを告げ、又右衛門とともに斬り掛かった。数馬チームの門弟の2人、孫右衛門と武右衛門は、馬に乗ってた槍の名人の桜井半兵衛と部下の槍持ちに斬り掛かり、一番やっかいな槍を封じた。剣豪の又右衛門は、馬に乗ってた河合甚左衛門の足を斬りつけ、馬から落ちたとこでトドメを刺した。

そして、桜井半兵衛と戦ってた門弟2人のフォローに入るも、門弟の1人、武右衛門は斬られてしまう。すかさず又右衛門が半兵衛を斬ると、又五郎チームのメンバーたちは、頼みの綱だった剣豪の甚左衛門と槍の名人の半兵衛がやられちゃったもんだから、「ダメだこりゃ!」ってことで、又五郎を置いてスタコラサッサと逃げちゃった。

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結局、残ったのは、数馬チームの3人と、仇の又五郎だけになった。こうなれば、もう仇討ちは達せられたようなもんだけど、実際にはここからが大変だった。仇討ちってのは、本人が斬らなきゃ意味がないから、剣豪の又右衛門なら一太刀で片づけちゃうとこなのに、剣の腕前がカラッキシの数馬は、なかなか又五郎を倒すことができない。

一応、数馬のほうが斬られないように、又右衛門と門弟の孫右衛門が周りでフォローしつつも、1対1の勝負だから、そうそう横から手助けするわけにも行かない。そのため、決定打の出ないダラダラした勝負が延々と続き、なんと開始から5時間も経過したとこで、ようやく数馬の太刀が又五郎に浅い傷を負わせた。そして、それを見た又右衛門がすかさずトドメを刺し、とうとう念願の仇討ちを成し遂げたってわけだ。

…そんなわけで、これが有名な「鍵屋の辻の仇討ち」で、「鍵屋の辻の決闘」とも「伊賀越えの仇討ち」とも呼ばれてる史実だ。でも、数馬の助太刀をした剣豪の荒木又右衛門の「三十六人斬り」は、あとから盛りに盛った創作だ。相手は全員で11人なんだから、仮に又右衛門が1人で相手全員を斬ってたとしても「十一人斬り」なわけだし、実際には相手の多くが逃げちゃって、又右衛門は2人しか斬ってない。

だけど、この仇討ちは、柳生十兵衛と同門で柳生新陰流の免許皆伝だった荒木又右衛門の大活躍こそが「ストーリーの山場」だから、あとから歌舞伎や浄瑠璃の演目とかになるたびに、どんどん演出がエスカレートしてって、最後には又右衛門が1人で36人も斬り殺したことになっちゃったのだ。

さらには、近代の映画やテレビドラマになると、仇討ちのもともとのキッカケまで勝手に書き換えちゃったものまで作られるようになった。実際には「美少年の渡辺源太夫を好きになった河合又五郎がフラれて逆ギレして斬っちゃった」ってのがコトの発端なのに、こうした「男色の横恋慕」ってのが、同性愛を嫌悪する日本会議や統一教会をバックに付けた自民党政権下では「教育上よろしくない」と考えられるようになったからなのか、「源太夫が又五郎を侮辱したために斬られた」っていう波風の立たない内容に変えられてる作品も多い。

とにかく、当時は幕府が仇討ちを美徳として世間に推奨してた時代だから、こうした実際の仇討ちが美しい物語として脚色されて、歌舞伎や浄瑠璃などのお芝居の演目になり、庶民の娯楽になってた。この「鍵屋の辻の仇討ち」は、70年後の元禄15年(1703年)に「赤穂浪士の討ち入り」が行なわれるまでは、日本一有名な仇討ちとして、数え切れないほど上演されて来た。

何でかって言うと、この「鍵屋の辻の仇討ち」が行なわれるまでは、日本一有名な仇討ちは建久4年(1193年)の「曾我兄弟の仇討ち」だったからだ。いくら有名とは言え、500年も前に行なわれた仇討ちのお芝居なんて、当時の人たちにしても「時代劇」みたいもんで、現実味が薄かったと思う。そんなとこに登場した「鍵屋の辻の仇討ち」は、思いっきり臨場感にあふれた「現代劇」として、多くの人々に受け入れられたんだろう。

…そんなわけで、「鍵屋の辻の仇討ち」に続いて「赤穂浪士の討ち入り」も「忠臣蔵」として歌舞伎や浄瑠璃などの演目となり、江戸の人々は「仇討ち」という「復讐劇」に夢中になって行った。演出によって善と悪とが明確に描き分けられているだけでなく、幕府公認という大義名分が、殺人を美徳として大衆の娯楽にするには十分すぎる裏打ちとなった。

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そして、明治6年(1873年)、明治政府によって「敵打ち禁止令」が発布され、長かった仇討ちの歴史に幕が降ろされた。だけど、それでも、確固たる理由があれば「復讐」という私刑にも一定の理解を示す人々は減らなかった。その結果、その後も「復讐劇」をテーマにした小説や時代劇などが次々と生み出され、人気を博して行った。冒頭で挙げた池波正太郎の小説『仕掛人・藤枝梅安』や、これを原作としたドラマ『必殺仕掛人』や『必殺仕置人』のシリーズなどは、その顕著な例だろう。

もちろん大半の人々は、こうした「復讐劇」を小説やドラマや映画の中だけで楽しみ、現実世界とは切り離して考えてる。だけど中には、被害妄想とも言える異常な感覚から、現実世界でとんでもない犯罪に及んでしまうケースも出て来る。最近だと、戦後最大の犠牲者を出してしまった「京都アニメーション放火殺人事件」や「安倍晋三銃撃事件」などだ。

どちらも決して許されない凶悪事件だけど、犯行時の犯人たちは、たぶん自分こそが被害者だと思っていたはずだ。あたしは、この犯人たちの感覚が「憎しみの連鎖」の最初の一歩であり、場合によっては「戦争の種火」となりうるのだと考えた。

…そんなわけで、今から400年近く前に起こった「鍵屋の辻の仇討ち」は、その後の歌舞伎や小説や映画の中で、仇討ち側に加勢した剣豪の荒木又右衛門をスーパーヒーローとして描くことで、この「復讐劇」は勧善懲悪へと美化されて行った。

そして、今から半世紀ほど前に『週刊少年ジャンプ』で連載が開始された永井豪の『ハレンチ学園』では、ヒロインの柳生みつ子が柳生新陰流の免許皆伝で、主人公の山岸八十八(やそはち)から「十兵衛」と呼ばれることになった。その上、柳生みつ子の弟は「宗冬」、史実の柳生十兵衛の弟と同じ名前だった。さらには、ふんどし姿の丸ゴシ先生の本名が「荒木又五郎」で、剣豪の荒木又右衛門の子孫という設定だった。

ここまで設定が出そろっていても、『ハレンチ学園』は主人公の「親分」こと山岸八十八が子分のイキドマリと一緒に、学園中にスカートめくりを流行らせたり、女医さんに化けて女生徒の身体検査をしたりという、当時の教育委員会から目を付けられるようなエッチな漫画だった。それなのに、嗚呼それなのに、それなのに…と本日2回目だけど、柳生一族の血がそうさせたのか、はたまた荒木又右衛門の血がそうさせたのか、学園の自由すぎる風紀を憎んでた「大日本教育センター」との間で、なんと戦争が勃発する。

「大日本教育センター」の所長は自らが甲冑姿となり、軍を率いてハレンチ学園に全面戦争を仕掛けたのだ。それも、まずは爆撃機で学園の周囲の住宅街を焼き払い、学園を重火器で攻撃しやすくするという作戦を強行した。ふだんは敵対してる先生たちも、生徒たちと一緒に応戦するけど、軍は子ども相手に容赦がない。人気キャラだったクラスメイトや先生たちが、軍の無差別空爆と銃撃によって次々と殺されて行く。

クラスのマドンナ的存在だったツインテールのアユちゃんは、爆風で下半身が丸出しになり、飛んで行ったパンティーを追い掛けて校庭に走り出てしまう!そこへ容赦ない銃撃が!アユちゃんが「自由に生きたかっただけなのに!」と叫んだ瞬間、アユちゃんの首が飛び、腕が飛び、頭が左右2つにちぎれ飛び、惨殺された!

準主役級のキャラたちが次々と殺され、校庭に死体の山が築かれて行く。必死に応戦してた親分は、心配して見に来た自分の両親を誤って射殺してしまう。イキドマリも殺された。マカロニ先生も殺された。主要キャラがほぼ全員、殺された。そして、主人公の親分と十兵衛だけは最後まで戦ったけど、学園は崩壊し、2人は行方不明のまま物語は終わる。

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…そんなわけで、今この時も多くの人々が苦しんでる実際の戦争と、こうした漫画を比較するのは不適切かもしれないけど、あたしには、今、イスラエル軍がガザ地区に対してやってることが、どうしてもこの「ハレンチ大戦争」と重なってしまうのだ。

ただ単に「自分たちと考え方が違う」という理由だけで、狭い学園という敷地に弱者を封じ込め、圧倒的な火力で子どもたちを虐殺し続けた「ハレンチ大戦争」は、「復讐」に端を発した「憎しみの連鎖」の行き着いた最悪の結末じゃないかと、あたしは思った。そして、あたしたち人間が「復讐」とか「報復」とかの気持ちを持ち続けてるうちは、世界から戦争はなくならないと思った。

あたし自身、小説や映画などの「復讐劇」は好きだし、冒頭にも書いたように、古今東西、人間の多くは「復讐劇」が好きだと思う。でも、小説や映画などで楽しむ「復讐劇」と、現実世界で自分を苦しめた相手に「復讐」することとはまったく別次元の話だ。そして、この後者の「復讐」の心こそが「戦争の種火」なんだと思った。

「復讐」の対極に位置するものは「赦免(しゃめん)」であり、相手の罪を「赦(ゆる)す心」だ。前半では「小池百合子と同じやるやる詐欺」だなんて書いちゃったけど、神様が「復讐するは我にあり」と言ってくれてるんだから、別に特定の神様を信じてなくても、相手が改心しなければ必ず自滅すると信じて、自分は「赦免」を選択したい。これが「憎しみの連鎖」を断ち切る唯一の道であり、「目には目を、歯には歯を」では、世界から戦争は永遠になくならないと思った今日この頃なのだ。

(『きっこのメルマガ』2024年3月13日号より一部抜粋・文中敬称略)

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