米国に頼ってばかりはいられない。今こそ日本が「核の抑止力」について考えるべき理由(川口 マーン 惠美氏)

 

自分の国を自分で守るには、それなりの準備がいる

中国、あるいは北朝鮮のタガが外れて、東アジアに有事が起こったと仮定すると、まず狙われるのは米軍基地だ。基地は日本だけでなく韓国にもあるが、そもそも韓国は、隣で睨みを効かせる中国や北朝鮮に逆らえるだろうか? 言われるがままに米軍を追い出すというようなサプライズが起こっても不思議ではない。では、日本は? 米軍が犠牲的精神を奮って日本を守ってくれると思っている人は、流石にもういないだろう。ただ、だからと言って、「では、この危険な状況をどうにかしなくては!」とならないのが平和ボケの日本だ。

以前の私はこれが歯痒く、なぜ日本政府は、中国に尖閣諸島を取られそうになっても見て見ぬ振りをしているのかと憤り、「独立国なら自分の国は自分で守るべきだ」などと思ったものだが、最近は考えを改めた。

自分の国を自分で守るには、それなりの準備がいる。丸腰で強がりを言って喉元にナイフを突きつけられたら、その後は知れている。つまり、こちらも少なくともナイフを持ち、相手に襲いかかるのを躊躇させなければならない。それが核であり、抑止力である。しかしながら、日本の核武装などあり得ない。だから、何をされても日本政府が見て見ない振りをするのは、いわば当然なのだ。

最近、マクロン仏大統領がウクライナ支援の会議で、「フランスはウクライナに派兵する可能性を否定するわけにはいかない」と述べて物議を醸した。その真意はわからないが、それを慌てて否定したのがドイツのショルツ首相だ。思っていることを堂々と言えるかどうかの差も、核を持っているか否かの差のように思える。

ドイツにはホロコーストのトラウマがあるため、軍事力や戦闘心を誇示するような言動は極力慎む。その証拠に、本来なら国家の財産であり、重要なライフラインでもある天然ガスのパイプラインを、(おそらく同盟国の手によって)破壊されても、ろくに調査もできない。何か言って喉元にナイフを突きつけられると困るところは、日本とよく似ている。しかも我々は、時々、脅してくるのは必ずしもロシアや中国だけではないことも、重々承知している。

勝っても負けても犠牲の出るのが戦争で、もちろん、誰も戦争などしたいはずはない。しかし、たとえ世界中の人間が平和を望んだとしても、利害が一致するわけではなく、いつか必ず争いは起こる。そして、利害が複雑に対立すればするほど、争いの前線も複雑になる。そんなとき、国家を超えた調停機関など役に立たず、話し合いも機能しないことは、今のウクライナやガザ地区を見ればよくわかる。結局、戦争抑止に有効なのは、今のところ核兵器しかない。

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