17日の兵庫県知事選挙の結果は、既存のマスコミ報道とネットユーザーたちが利用するSNSとの間に大きな溝を作るキッカケになった…そんなニュースが連日のように報じられています。メルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者で、要支援者のための学びの場「みんなの大学校」学長である引地達也さんは自身のメルマガの中で、今回の選挙が浮き彫りにした双方の「乖離」を冷静に論じつつ、それでも互いに必須の感覚としての「ケア」を意識すべきと説いています。
既存メディア対SNSの構図から「ケア」を取り入れて
11月17日に投開票された兵庫県知事選は、SNSの情報により支持が広がったとされる斎藤元彦前知事(47)が再選を果たした。
県民の約111万票(得票率45%)を獲得した圧勝劇という事実は、確実に選挙での信任を受けた、ことになる。
しかし、この勝利には、斎藤氏個人の問題を飛び越え、メディアの信頼性と投票行動、SNSの影響力に関するいくつかの課題を浮かび上がらせた。
斎藤氏自身も語った「メディアリテラシー」は、それぞれの立場から発信され、既存メディアとSNS側の対立的な構図を浮かび上がらせている。
双方からの不信の言葉はお互いが打ち消し合い、否定することの応酬で、交わらず、何も生み出さないさみしい関係性から抜け出せない。
この分断をもたらす、二項対立を緩和し、適切な民主主義や社会規範を考えるには、「ケア」の概念と倫理観が重要なキーワードになるのではないかと思う。
選挙戦はメディアの世論調査の結果として、終盤に斎藤氏の猛追が報じられ、投開票日の逆転劇に多くの人が結果を疑ったようで、メディアの反応も冷静な分析に至っていないようだった。
日本経済新聞は18日、「大きな『力』 成熟への起点に」との記事で、SNSが選挙に重大な結果をもたらすことを前提に、マイナス面として世論形成メカニズムに、利用者の興味に沿う情報を選ぶアルゴリズムが土台にあることを指摘した。
有権者が偏った情報に包囲され、その包囲された者同士は「互いに言いっぱなしで民主主義の基本である議論・対話が起きない」との懸念だ。
「SNSを冷静な対話、深い議論につなげていく知恵を探そう・ひるまず取り組むべき出発点に私たちはいる」と説く。
これも少し悲しい遠吠えのように聞こえなくはない。
もはやSNSは、メディア側が語る議論を拒否している存在であることの認識が必要ではないだろうか。
これまでのマスメディアが「正義」を振りかざし、公平性をうたった「正論」は人心から離れてしまい、SNSによる個人の掌から入手できる情報に心を奪われてしまったのである。
この記事の著者・引地達也さんのメルマガ