大マスコミの振りかざす「正義」を疑うSNSユーザーたち。兵庫県知事選が教えてくれた、私たちが持つべき「感覚」

 

メディアとしてのSNSは生活の一部であり、かつては食卓で新聞紙を広げたり、お茶の間でテレビをつけたり、パソコンでブラウザを立ち上げる必要がなく、日常に「必要としているもの」が入ってくるから、それらの情報は心地よいはずだ。

それは、100年以上前に人々に紙面で言論が届けられた変化と同じともいえる。

例え、情報が粗くても、「信じたい」気持ちで、人は信じる気持ちを持つことは誰しも自覚するところだろう。

習性は生きている。新しい情報ツールとしてのメディアの変化は、今回の投票結果に大きな影響を与え、一部の方には、その認識が追い付いていない。

社会をよりよくするための情報ツールを活用する中で、使用する側も受け取り側も必須な感覚が「ケア」である。

私は、ここ数年考え続け、拙著「ケアメディア論」等で必要に応じて伝えてきた。

ケアの言葉を意識し、メディアとの融合を進めようとの提言は同書の中でも語られているが、SNSは市民に言論が行き渡ったという民主主義のコミュニケーションツールとしては理想である。

「市民型オペラ」(同書)との表現で、その言論は歓迎されてもよいが、いつの間にか虚偽情報も含まれてしまうから精度には問題がある。

今回、議会制民主主義で尊重するはずの兵庫県議会を否定すれば、反発する議会は規制を強化することになり、明治期の讒謗律(編集部註:ざんぼうりつ、1875年に公布された言論・出版を取り締まる法令)が制定される状況にも重なる。

テクノロジーの進化でコミュニケーションツールは変わっても、人間がやりとりすることは変わらない。

テクノロジーはやりとりの道具として、私たちはどんな道具も受け入れながら、私たちが水平的に話し合う、やりとりする民主主義を実現する手法として考え、一緒に生き、考える社会の一員、ケアをする・されるの関係の中で目の前のコミュニケーションツールを使う倫理観を共有し、対立を解消していきたい。

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image by: さいとう元彦公式ウェブサイト

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障がいがある方でも学べる環境を提供する「みんなの大学校」学長として、ケアとメディアの融合を考える「ケアメディア」の理論と実践を目指す研究者としての視点で、ジャーナリスティックに社会の現象を考察します。

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