我が国にトランプのケツを蹴っ飛ばす気概はないのか?“裸の王様”の妄動を諭すことなくケツを舐めにゆく下劣極まる石破政権

 

「熱戦」の時代の歪曲された延長形態に過ぎぬ「冷戦」

そういう訳で、「冷戦」の終わりとは、単にそれだけを意味するものではなかった。1947年3月のトルーマン米大統領の「反共」演説、その実体化としての49年4月のNATO結成が冷戦の始まりとすれば、1989年12月のマルタ会談で米ソ首脳によってその「終結」が宣言されるまでは、わずか40ないし42年間である。

しかし、冷戦はそれ以前の数世紀にも及ぶ長い長い「熱戦」の時代の歪曲された延長形態に過ぎない。何が「歪曲」されたのかと言うと、熱戦の結末としてのヒロシマ・ナガサキの地獄絵を見た後では、もはや国家同士が総力を動員して全面戦争を行うことは不可能だと誰もが悟っていくけれども、「いざとなれば戦争だ」と覚悟して利害を争い合う熱戦の論理それ自体は捨てる訳にいかないので、「核の撃ち合いにならないようお互いに気を付けながら戦争をするように心がけましょう」というのが冷戦だからである。

とすると、冷戦が終わったからと言ってそれ以前の熱戦時代に戻るということはあり得ず、冷戦が終わることによって熱戦もまた終わるのでなければならない。

では熱戦はいつから始まったのか、ウィキペディアの「ヨーロッパの紛争一覧」「アジアの紛争一覧」を見てイメージを湧かせてみて頂きたい。

ヨーロッパの紛争一覧
アジアの紛争一覧

人類は始まって以来とは言わないまでも、古代国家を形成し始めて以来の数千年、飽くことなく戦争を繰り返してきたが、それがいよいよ激しくなるのは16世紀。ヨーロッパを覆ったハプスブルク帝国の支配を打ち破って主権国家――1つの国民経済に1つの国民国家がモナカの上下ワンセットのように重なりながら勃興し、ハプスブルク朝スペインに対してオランダが独立を求めて戦った「80年」戦争、イングランドの英西戦争、17世紀に入ってからの「30年戦争」などを経て、1648年のヴェストファーレン条約に集約される。

同条約は、教科書的には「国家の領土権、領土内の法的主権、国家同士の相互内政不可侵の原理が確立され、現代国際法の根本原則が確立された」と綺麗に記述されるけれども、要は国家が丸ごと打って一丸、戦争を発動して国益を追求する近代的な(?)な「熱戦」がここで初めて国際法的に合法化されたのである。

話が大回りして申し訳ないが、そういうことで「冷戦」の40年間が終わると、それと芋づるで「熱戦」の400年もまた終わり、さらにそれと重なって同じく16世紀にジェノヴァで始まった資本主義も、その属性としての覇権システムも、全部一遍に終わるのである。

「終わる」というのはもちろん、文明論的本質として終わるという意味で、そこまでの長さの歴史の物差しを当ててこの事態を理解しなければならないということである。

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